昭和27年、村田牧場として創業。間もなく市乳事業に臨み、約7年ほど市域に商われたローカル銘柄。紆余曲折を経て、今は大手メーカー各社の製品を扱う販社さんとなっている。
「村田牧場」「丸正牛乳」は、初代・村田正和氏の名に由来。和(わ)の字で輪=○を作り、正を繋げてマルショウ。旧海軍で戦争を経験した氏が様々な願いを込め、平和の象徴・鳩のマークを加えたと想像される(⇒丸正牛乳株式会社/K.G.R. OBのブログ)。
掲載瓶は徳永硝子と日本硝子のメーカー固有記号が相乗り。日本硝子が徳永を買収した昭和30年頃の出来で、時期的に丸正牛乳の初代瓶装と見込む。
◆丸正牛乳の展開・農協との合併
村田氏は約3年の牧場経営を通じて勘所を掴み、昭和30年、丸正牛乳(株)を設立。同時に処理工場を立ち上げ、直売に乗り出す。36年に至っては地元の秦泉寺農協と事業統合。個人会社から組合への転換を図り、自らは工場長を勤めた。
たぶん原料乳の調達や販路開拓に際し、農協との直結が有利だと判断されたのだろう。しかし組織の拡大を肌身に感じて思う所あり、早々に離職、組合から脱退。
軌道に乗った事業を手放した村田氏は、昭和39年に村田乳業(株)を発起。乳性飲料・清涼飲料水メーカーを経てベンダーに鞍替え、改めてご商売を確立。のち牛乳販売(宅配)も再開、今はメグミルクと明治、四国乳業(らくれん牛乳)の3社併売だ。
◆その後の秦泉寺農協・秦牛乳
公式サイトに掲載の会社沿革で、村田さん方の業歴は詳しく分かるものの、合併〜脱退したという「秦泉寺(じんせんじ)農協」さんの仔細は不明。
牛乳工場は遅くとも昭和39年までに中秦泉寺に移転。団体呼称も「秦(はだ)牛乳生産販売農業協同組合」に変わるが、拠点の電話番号は丸正牛乳さんの「3592」を引き継いでいた。この頃は「ハダ牛乳」「ハダヨーグルト」の銘を商っている。
秦牛乳は昭和47年前後に製造販売より撤退。組合は他の農協が吸収する形で解散したようだ。かつてミルクプラントのあった場所には現在、JA高知市・秦支所が置かれる。たぶん何度か合併を繰り返し、最終的に高知市農協へ収まったのだろうと思う。
― 謝辞 ―
銘柄の由来や会社沿革につきまして、(株)ムラタ様よりご教授頂きました。
― 関連情報 ―
丸正牛乳の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)