岡本牛乳岡本牛乳

(記事下段)

岡本牛乳

(有)岡本牛乳
兵庫県姫路市今宿1757-1
新東洋硝子製・市乳180cc側面陽刻
昭和30年代初期

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恐らく戦後に10年ほど商われた、市域のローカル銘柄。昭和30年代初期に製造を中止、雪印牛乳(メグミルク)の販売店へ転換。のち平成15年頃に完全廃業されている。

過去資料には、飾磨(しかま)郡高岡村山畑新田(現・姫路市西今宿)に岡本直吉氏が搾乳販売を営み、昭和8年設立の姫路ミルクプラント(⇒関連:笠木牧場)へ出資参画の記録が残る。本項メーカーの起源とも思えるが、繋がりは分からなかった。

◆掲載瓶・旧所在の今宿について

掲載は寺山牛乳(岡山)や白バラ牛乳(鳥取)さんの旧世代と同じ、王冠栓仕様の細口ビン。未見ながら、一般的な紙栓+広口瓶の取り扱いもあった。ただ、岡本牛乳さん自社ブランドの廃止時期から推すに、残存は極めて少ないだろう。

旧所在の姫路市「今宿1757番地」は、平成20年の住居表示実施で「車崎」に変更(復帰)。今は車崎1丁目6番地に該当するようだ(⇒住居表示整備/姫路市)。

◆姫路牛乳から雪印牛乳へ?

早期のベンダー転換は、界隈の同業者の動きに応じた結果らしい。もともと岡本さんの近所では、昔から北陸製乳・姫路工場が市乳処理を手掛けていた。同社が明治系列に入って姫路明治牛乳となり、昭和25年に至って佐用郡酪農農協に売却される。

佐用酪農は昭和30年に西播酪農農協と改称、市乳事業へ本格参入し「姫路牛乳」を展開。33年に工場を刷新、増産体制を整えた。岡本さん方はこの機に請け売りへ転じたか。

農協は35年に雪印と提携。共同出資の販社・姫路雪印牛乳販売(株)を設立。段階的なブランド移行を経て36年、正式に傘下入り。姫路牛乳は終息、雪印の分工場に変わった。


■岡本牛乳 <掲載瓶>
創業> 不明
昭28> 岡本牛乳店・岡本芳男/兵庫県姫路市車崎1757-1
昭31> (有)岡本牛乳・岡本芳男/兵庫県姫路市今宿1757-1
電話帳掲載> 「(有)岡本牛乳」「雪印牛乳姫路販売所」/同上 ※平成10年時点
自家処理撤退・独自銘柄廃止> 昭和33年前後?
廃業> 平成15年前後?
公式サイト> 未確認

■姫路牛乳 <参考>
開設> 大正13年、北陸製乳(株)姫路工場として?
昭13> 北陸製乳は明治製乳(株)に改称
昭14> 明治製乳を明治製菓(株)が吸収合併
          翌15年に明治乳業が経営を受任、同・姫路工場となる
昭16> 姫路工場を母体に姫路明治牛乳(株)が設立される

昭22> 姫路明治牛乳(株)・前田善治/兵庫県姫路市今宿830
昭24> 姫路明治牛乳は明治乳業に吸収合併され、同・姫路工場となる
昭25> 明治乳業・姫路工場は佐用郡酪農農協に売却される
昭30> 佐用郡酪農農協は西播酪農農協に改称、本所を姫路工場に移す

昭31〜34> 西播酪農 姫路牛乳・横山摂治/同上
                     ※この間「佐用乳処理所」(佐用郡佐用町佐用3018-3)も並行操業
昭35> 西播酪農農協は雪印乳業と業務提携
          翌36年に工場は買収され同・姫路工場となる

昭36〜48> 雪印乳業(株)姫路工場/同上
昭48> 姫路工場は合理化で市乳製造を中止、集乳工場に転換
工場閉鎖> 昭和55年
電話帳掲載> 西播酪農農協/兵庫県姫路市西今宿3-10-5
公式サイト> 西播酪農農協としては未確認

処理業者名と所在地は、[全国工場通覧]・[姫路市商工名鑑]・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版] による。電話帳の確認は平成22年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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