農協牛乳 (1) (苫小牧市農協)農協牛乳 (1) (苫小牧市農協) 農協牛乳 (2) (苫小牧市農協)農協牛乳 (2) (苫小牧市農協)
農協牛乳 (1)

苫小牧市農業協同組合
北海道苫小牧市旭町13
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代後期
農協牛乳 (2)

苫小牧市農業協同組合
北海道苫小牧市旭町13
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代後期〜40年代初期

道南に13年ほど商われた、昔日の農系ブランド。組合は平成の合併・改称を経て今も健在。開拓地における混合農業の推進を受け、戦前より酪農の盛んな所だったが、後年は政府主導の大規模開発が巨額の負債を生み、市内経済は大きく変動した。

掲載は標示書体が異なる2世代。(1)番瓶のちょっと遊んだ文字が楽しげ。「旭印」の由来は町の名前らしく、商標は古典的な構えだ。類似のマークは栃木の磯田乳業(アサヒ牛乳)、岐阜の両藤舎(日之出牛乳)、沖縄の大川乳業さんほか多数ある。

◆初期の開拓酪農・雪印工場の誘致

苫小牧の酪農は、勇払原野の開拓に始まった。一帯は厚い火山灰に覆われて農耕が難しく、大掛かりな客土工事もすぐには望めない。当面の現金収入確保に加え、堆肥の鋤き込みで土壌改良を図る酪農の導入は、半ば必須条件だった。

行政の牛飼い奨励、未開墾地へ酪農経験者の入植募集、農民組合の結成を通じ、牛乳生産は各戸の副業として定着。昭和6年には工場誘致の運動が実り、北海道製酪販売組合連合会(雪印乳業)が、苫小牧分工場を置くに至る。

◆戦後の農協設立・農協牛乳の展開

昭和23年、戦時の統制団体・苫小牧町農業会の解散決定を受け、苫小牧農協と苫小牧酪農協が成立。30年に両者が合併、苫小牧市農業協同組合に発展する。

農協は戦火に衰退した乳牛飼養が復調に転じた機を捉え、昭和36年、ミルクプラントを建設、市乳処理事業に着手。「旭印・農協牛乳」のブランドを掲げ、主に市内の学校給食向けに一括供給を行い、住民人口の増加に乗って商売を確立させた。

かねて操業の雪印・苫小牧分工場は、道内工場の集約・大型化、生産コスト削減の方針により、昭和39年に閉鎖。地元資本の牛乳工場が現れ、その役割を終えた面もあっただろう。

◆農協牛乳から再び雪印牛乳へ

しかしその後、苫小牧では商工業が大躍進。特に鳴り物入りの国家事業・苫小牧東部大規模工業基地開発計画にともなう農地買収で、入植者・酪農家の離脱が相次ぐ。生乳生産量は半減し、ミルクプラントの運用は俄かに厳しい局面を迎えた。

昭和48年度に、農協の市乳部門は赤字に転落。大手メーカーの寡占・飼料高騰など不安要素も多く、継続は困難と判断され、49年に廃止を決定。雪印乳業に集乳権・販売権を譲渡し、工場は閉鎖。農協の独自ブランドは消滅した。

― 参考情報 ―
破綻した国家プロジェクト-苫東開発30年目の夏 (masaaki KATO's WEB SITE)
苫小牧市農協の紙栓 (牛乳キャップとは) / 同・紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)


設立> 昭和23年、苫小牧酪農業協同組合として
昭30> 苫小牧農協と合併し、苫小牧市農業協同組合となる
昭36> 市乳事業を開始

昭39〜44> 苫小牧市農業協同組合/北海道苫小牧市旭町13
昭46〜47> 同上/北海道苫小牧市旭町13-3
昭48> 同上/北海道苫小牧市旭町2-5-18
昭49> 雪印乳業へ市乳事業の一切を譲渡
平13> 胆振東部の5農協と合併し、とまこまい広域農業協同組合となる

工場閉鎖・独自銘柄廃止> 昭和49年
電話帳掲載> とまこまい広域農協・苫小牧支所/北海道苫小牧市大成町2-2-2
公式サイト> http://www.ja-tomakomaikouiki.com/

処理業者名と所在地は、食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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