東洋牛乳(松下健三)東洋牛乳(松下健三)東洋牛乳(松下健三)
東洋牛乳

小山正美⇒松下健三
岡山県西大寺市北之町1082
石塚硝子製・180cc底面陰刻
昭和30年代後期

かつての西大寺市域に商われた、個人経営のローカル乳業さん。県下には銘柄を同じくする東洋乳業(株)も存在したが、これとは全く無縁な、もうひとつの「東洋牛乳」だ。

恐らくは戦後、昭和20年代中期に創業。約20年の営みを経て昭和44年前後に廃業され、ブランドは消滅。当時の建物は今なお残り、路上観察ブログ・むにゅ’s のぉとさんが現地を訪ね、ご家族に直接お話を伺った結果、下記のような仔細が分かった。

◆事業創始と過当競争下の苦闘

もともとは小山正美氏が興した小規模ミルクプラントで、創立年は不詳。昭和30年代初期の頃に販売不振へ陥り、時に原料乳を捌き切れず、腐らせてしまう有様だった。打開策として余剰乳をヨーグルト製造に転用も、品質芳しくなく、運営は行き詰まる。

大手メーカーが資本力を武器に、各地の牛乳屋さんを買収・拠点確保を進めていた時代。地域によっては零細乱立・飽和状態だったから経営難も頷けるところ。例えば前記の東洋乳業(株)も、まさしくこの頃合いに森永乳業の軍門へ下っている。

◆経営者の交代・巻き返しならず廃業へ

その後、小山氏の知人?で、各種の助言にあたっていた獣医師の松下健三氏が、事業続行の意欲を失った小山氏から「東洋牛乳」を引き継ぐ。この流れは、古い牛乳工場名簿の変遷とも合致、昭和35年前後の交代と推測できる。

松下氏は「大阪・鵤(いかるが)牛乳の牧場」に勤めていたものの(鵤牧場には本家と分家、親戚関係の2社あり、どちらかは不明)、これを機に夫妻で岡山に移住した。しかし商売はやはり難しく、昭和44年前後に廃業を決断されたようだ。

◆掲載びん・リペイント瓶について

掲載の六角瓶は松下氏の継承後、収支好転せず、やむなく廃業に至る直前くらいの流通か。光にかざすと薄っすらと「ヨーグルトン」のロゴマークが見える。製瓶会社がデッドストック瓶を剥離剤で洗浄し、改めて「東洋牛乳」銘を刷り直した再利用品だ。

同種は八角瓶を含め複数が手元にあり、他には「高野ホモ牛乳」銘が薄く残るビンもある。リペイントの新古瓶ということで、顧客乳業への卸値は少し安かっただろう。

― 謝辞 ―
東洋牛乳さんの過去経緯などについて、むにゅ様、kazagasira様よりご教授頂きました。

― 参考情報 ―
東洋牛乳の宅配受箱 / 東洋牛乳その後 (むにゅ’s のぉと)


創業> 不明ながら戦後?
昭31〜34> 小山正美/岡山県西大寺市北之町1082
昭36〜39> 松下健三/岡山県西大寺市西大寺
昭40〜42> 掲載なし
昭43> 松下健之/同上 ※お名前誤り?
廃業> 昭和44年前後
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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