戦後に十数年ほど商われた、県南のローカル銘柄。昭和35年前後に自家処理を中止され、ブランドは消滅している。恐らく牛舎併設の乳業だったと思うが、製造期間は短い。
昭和30年代の初め、井原市内には5軒のミルクプラントが操業。その中で一番早くベンダーに転換した所だ。ジャンボフェニックス氏によると、創業者ご家族は既に引退、別の方がご商売を引き継ぎ、現在はメグミルク(雪印牛乳)と森永牛乳を扱う販売店さんという。
◆掲載びん・赤い血肉キャッチについて
赤ちゃんマークの(1)番瓶が、初代の印刷瓶装か。それが突如として雄大な富士・賑々しい宝船に取って代わる、脈絡のない後継の変貌ぶりが愉しい。赤ちゃんの姿はコクブ牛乳さんのマークと瓜二つ、同社からクレームでもついた?のかも知れない。
「白い牛乳 毎日飲めば 赤い血となり肉となる」…牛が緑の草を食べ、栄養が赤い血液となり、やがて白い牛乳ができる…とは、昔の言い回し。「赤い血肉」を謳うキャッチフレーズはしかし、今となってはちょっと不釣合いで、やや怖い感じもする。
仔細不明ながら、広島の舟橋牛乳さんの瓶にも、同じ文言が同じフォーマットで刷り込まれており、一帯に営業した乳業資材代理店の提案・テンプレートの一種だったようだ。
― 関連情報 ―
中山牛乳の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)