水島牛乳 (1)水島牛乳 (1) 水島牛乳 (2)水島牛乳 (2)
水島牛乳 (1)

水島酪農業協同組合
岡山県倉敷市福田町北畝392
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期
水島牛乳 (2)

水島酪農業協同組合
岡山県倉敷市福田町北畝392
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期

戦後の発足から約10年間、市域に商われたローカル銘柄。掲載は電話番号と所在の標示が異なる2本。野球帽を被った少年のイラストにも、それぞれ微妙な違いがある。

市乳事業に臨んで間もなく、クロバー乳業(のち雪印乳業)と提携。昭和35年には完全買収され、独自ブランドは消滅。以降も水島酪農協さんは生乳出荷団体として運営が続いた。平成14年の組合合併で、今はおかやま酪農協となっている。

◆北海道バター(クロバー乳業)との提携

消費人口の多いエリアだけに市場競争は激しく、単体経営が困難だった。昭和31年、北海道バター(クロバー乳業)の資本参加を仰ぎ、協業体制を構築。自らの水島牛乳に加え、クロバー印バター・チーズの受託製造に着手する。

水島酪農協は翌32年、当時最新の処理機器を備えた新工場(福田町北畝)を落成。組合の蓄財だけでは足りず、クロバー資本の注入で実現したことだろう。掲載瓶は旧工場から新工場への遷移、あるいは並行稼動期間を示す2種類のようだ。

◆雪印乳業・水島工場への転換と閉鎖

集排法で分割されていた雪印乳業とクロバー乳業は、昭和33年に合流し、元の鞘に収まる。水島酪農協は引き続き提携関係を維持。同35年、市乳事業を雪印に全部譲渡、処理施設は同・水島工場へ転換。「水島牛乳」も廃止に至った。

農系工場は、設立趣意の相通ずる雪印へ身売りする例が多い。その後、水島工場は老朽化が進み、昭和45年頃に閉鎖。後継・移転先は倉敷工場(片島町)。長らくの稼働も平成14年、食中毒事故の煽りを受け、雪印は同工場をタカナシ乳業に売却した。

― 関連情報 ―
水島酪農協の紙栓 / 雪印乳業・水島工場 / 同・倉敷工場
(牛乳キャップ収集家の活動ブログ) / 同・紙栓 (牛乳キャップとは)


設立> 昭和26年、水島酪農業協同組合として
昭31> 北海道バター(のちクロバー乳業)の資本参加を受け、
           「クロバー印」乳製品の受託製造を開始

昭31> 水島酪農協・定金正皓/岡山県倉敷市福田町820
昭34> 水島酪農協/岡山県倉敷市福田町2162
昭35> クロバーと合併した雪印が市乳事業を買収し、同・水島工場となる
昭36〜43> 雪印乳業(株)水島工場/岡山県倉敷市福田町浦田
                     ※[雪印乳業史]は「倉敷市福田町北畝392」と記録する
昭44> 翌45年にかけて片島町に工場を移転、水島工場は閉鎖
昭44〜平13> 雪印乳業(株)倉敷工場/岡山県倉敷市片島町地蔵院地187-1
平14> 水島酪農農協は県下4組合と合併し、おかやま酪農業協同組合となる
          雪印は撤退し、倉敷工場をタカナシ乳業に売却

電話帳掲載> 水島酪農農協/岡山県倉敷市福田町福田2724 ※当時
                   雪印乳業(株)倉敷工場/岡山県倉敷市片島町187-1 ※当時
                   タカナシ乳業(株)岡山工場/同上
独自銘柄廃止> 昭和35年頃
工場閉鎖> 水島工場は昭和45年前後
公式サイト> http://www.okaraku.or.jp/ (JAおからく)

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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