清和牛乳清和牛乳

(記事下段)

清和牛乳 (二合瓶)

(株)清和牛乳
愛知県名古屋市守山区小幡苗代133
大和硝子製・360ml側面陽刻
昭和40〜50年代

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戦後、市域を中心に商われた、往年のローカル銘柄。赤ちゃん帽の子供が、巨大な牛乳瓶を携えるロゴマークが可愛い。周辺の学校給食ではお馴染みの顔だったが、現役時代を伝える情報は稀。後年アイテムは紙パックに全部移行していたと見られる。

平成14年、乳業施設再編合理化に応じ、飲用乳の処理を中止。以降はヨーグルトほか乳製品の製造に特化。のち26年頃に完全廃業されている。

◆クロレラ系乳酸菌飲料「ジェフシー」「プレット」

単なる広告か、共用瓶か定かでないが、クロレラ・ジェフシー(シープレット)の名入れが目立つ。かつてヤクルト本社のトップだった永松昇氏が、権力闘争のすえ会社を去ったのち、古巣に逆襲を仕掛けたヤクルト類似品のバリエーションだ。

昭和39年、永松氏は別途経営の日本クロレラ(株)で、まず「クロレラ・プレット」を開発。氏に通じた各地のヤクルト末端ボトラーへ供給し、瞬く間に普及した。

九州クロレラ食品 / ジェフシープレット (現・プレットサンフーズ社)
平安クロレラジェフシー (現・サンクロレラ社)
山陽クロレラ食品の紙栓 (mogura2号のブログ)
阪和クロレラ食品 / 九州クロレラ食品の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)

最終的に日本クロレラはヤクルト本社が吸収も、その過程に多くの傍流を生む。清和牛乳さんは近在の系列メーカーより原液を仕入れ、自社ラインナップに加えて販売したのだろう。

◆掲載びん・二合(360cc)瓶装について

二合瓶の取り扱いは全国でもごく僅か。他社の採用例は昭和30年代初期のなかよしビン(森永ホモ牛乳)を確認するのみだ。500cc瓶を寸胴にすぼめた感じで、通常の一合瓶(180cc)より最大直径・背丈ともに二周りほど大きい。

内容量は側面陽刻、大和/ユニオン硝子に特徴的なml単位の標示。それを長方形の枠で囲って、内側に梨地の凹凸加工を施してある。こうした中容量ビンは当時の出荷量自体が少なく、なかなか出会えない(⇒関連:宮崎・デーリィ牛乳250cc瓶)。

― 関連情報 ―
清和牛乳の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)


設立> 不明ながら戦後?
昭31> (株)清和商会・清和彦蔵/愛知県名古屋市北区東大曾根町中4
昭34〜36> (株)清和商会/愛知県名古屋市北区大曾根町中田
昭35〜36頃> 東区の中京牛乳(⇒みどり牛乳)工場を買収・移転
昭39〜42> 同上/愛知県名古屋市東区石神本町1-21
昭43〜平04> (株)清和牛乳/愛知県名古屋市守山区大字小幡字苗代133
平13> 同上/愛知県名古屋市守山区苗代2-1-13
平14> 乳業施設再編合理化に応じ、市乳処理を中止
電話帳掲載> 同上 ※平成24年時点
独自銘柄廃止> 「清和牛乳」は平成14年頃の廃止?
廃業> 平成26年頃?
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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