「村民健康増進の源」として、戦後10年ほど一帯へ飲用牛乳を供給した、村営ミルクプラント。当地は日本最大の硫黄産出を誇る松尾鉱山の操業で、かつて大きく栄えたところ。福利厚生の一環で村の手掛けた事業は複数あり、山の麓の牛乳工場もそのひとつだった。
行政によるミルクプラント経営事例は、全国にいくつかある。鶴岡市営牛乳(山形県)、内郷市営牛乳(福島県)などが代表的なものだ。


 |
|
画像上:松尾村役場/村営松尾村牛乳処理工場の広告(昭和30年、31年)…ミルクプラントの所在は松尾鉱山鉄道鹿野駅前とある。この鉄道は松尾鉱業が物資と従業員、旅客輸送のため敷設した路線。釣鐘のようなマークは当時の村章。紙キャップには「村営のおいしい 松尾均質牛乳」と刷られていた。 |
◆松尾鉱山の集合住宅廃墟に残る牛乳びん
松尾鉱山は明治44年に本格的な開発が始まり、昭和30年代の最盛期を経て、昭和47年に完全閉山へ至っている。とりわけ有名なのは廃墟、今も11棟が残る鉄筋コンクリート4階建て・従業員家族の宿舎群(緑ヶ丘アパート)だろう。
・松尾鉱山
緑ヶ丘アパート(岩手県) (Ruin's Cat)
・松尾鉱山(緑ケ丘アパート)
(Departure)
愛好家の探索記で、生活空間に放棄された古い牛乳瓶の写真を見ることができる。多くは昭和40年代中期の岩手牛乳(盛岡市)のもの。村営牛乳の廃止(昭和38年頃)後は同社の販路となり、まさしく閉山期に配達が絶えたこと…を示している。
 |
|
画像上:松尾鉱業株式会社の会社広告(昭和33年)…鉱山経営を行っていた会社の広告。社章は松の枝葉を表すシンプルな図案。松尾鉱山小中学校の校章も同様の構え。そして掲載ビンの背面に見えるマークも、簡略化されてはいるものの、一連のシンボルに倣った形だろう。 |
◆酪農振興を目指した松尾村の関連事業
村営牛乳の具体的な顛末については詳しい情報があまりない。12代村長・藤根順衛氏と当時助役(のち13代村長)・沼田宗一氏の発起と思われ、この頃に松川温泉の開発(国民宿舎「峡雲荘」オープン)や松川地熱発電所の誘致など、各種の事業が成立した。
ミルクプラント建設は単に地産地消の実現だけでなく、地元農家への酪農普及・現金収入を増やす狙いがあった。松尾村は村営の長久保牧場を保有し乳牛飼育・牧草栽培を行ったほか、乳牛・酪農資材の売買を担う岩手酪農開発(株)へ出資参画もしていた。