内郷市営牛乳内郷市営牛乳

(記事下段)

内郷市営牛乳

内郷市営牛乳処理場⇒いわき市営内郷牛乳処理所
福島県内郷市御厩町久世原29-1
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜後期

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戦後およそ17年に渡り、市域に商われた公営ミルクプラント。旧・内郷市の時代に安価な十円牛乳として始まり、いわき市への合併を経てなお存続、日量一万数千本を捌く盛況だった。

しかし後年は処理施設の老朽化に直面。民間企業のような新規の設備投資が難しく、製造コストは相対的に上昇。さらに人件費高騰、大手メーカーの進出、貸し倒れ発生などで価格競争力を失うと、ついに赤字転落。昭和48年に至って廃止されている。

全国的にも珍しい行政事業で、類例は山形の鶴岡市営牛乳ほか、数えるほどしかない。そうした自治体主導の牛乳屋さんのなかで、供給量・規模感は随一の結果を残したところだ。

いわき民放「脚光浴びる内郷牛乳処理場」記事(昭和34年)
画像上:いわき民放「脚光浴びる内郷牛乳処理場」記事(昭和34年)…ラインナップはホモ牛乳とビタミン入り牛乳、コーヒーミルク、ヨーグルトミルクの4種で、のちフルーツも加わっている。成功を受けて各市より視察団が来訪、開設の指導を求めたというが、後続の実施例は見当たらない。

◆牛乳から始まった市営事業チャレンジ

かつて周辺経済を牽引してきた炭鉱業に、斜陽化の兆しが見えてきた。内郷町長〜市長を務めた沼田一夫氏は、地域構造の転換を模索。団地造成や衛生施設の整備を通じて住環境の拡充を図るとともに、財源確保を期す公益企業の展開に乗り出した。

昭和31年、そのテストケースである牛乳処理場がオープン、ここに内郷市営牛乳が生まれる。酪農振興と市民福利を兼ねた試みは、予想以上の支持を得て急成長。日産200本の商い始めが34年には五千本、40年までに一万本の大台を超え、堂々たる黒字を築く。

販路は内郷市と隣接する平市・好間村に及び、学校給食、工場や病院の集団飲用をメインに、家庭宅配、駅売り・店頭小売も手掛けた。

◆ミルクプラント・ヘルスセンター事業の躍進

内郷市章を掲げた掲載瓶の宣伝標示「あふれる天然温泉 内郷ヘルスセンター」も、昭和33年に始まった市営事業のひとつ。常磐炭鉱の坑内から湧き出す廃湯を利用したレジャー施設で、これまた大評判。内郷市公営企業部の7部門は、牛乳と温泉を中核に伸びていく。

昭和41年の市町村合併、いわき市の発足に際しては、ミルクプラントに原料乳を納める地元の酪農組合や総合農協へ譲渡移管が検討された。しかし民間運営に対する警戒感は根強く、新市が「いわき市営内郷牛乳」として引き継ぐこととなる。

スーパー藤越の新聞広告「九円牛乳イカスじゃないか」(昭和33年)スーパー藤越の新聞広告「叱られて牡牛は乳を上げにけり」(昭和33年)

スーパー藤越の新聞広告「浦島太郎にチチ呑ましたや」(昭和33年)スーパー藤越の新聞広告「ミルク一本で見る見る元気」(昭和34年)
画像上:ご当地のスーパーマーケットチェーン「藤越(フジコシ)」の新聞広告(昭和33〜34年)…森永ホモ牛乳13円に対し、内郷市営牛乳は10円、この頃は価格優位性があった(最晩年は1本25円)。十円牛乳を勝手に9円へ値下げして当局に怒られた顛末まで広告になっている。

◆後年の失速・赤字続きの自転車操業

市営続行の判断、吉凶占いの行方は、あまり芳しくなかった。昭和40年代半ば、経営環境は急速に移り変わり、赤字を計上。順風満帆だった牛乳稼業に影が差す。

炭鉱の段階的閉鎖を受け、人口は減少の一途。そこで目指したベッドタウン開発は成功したが、宅地化が進んだ結果、内郷地区の酪農は壊滅状態、畜産振興の旗印を失う。市民の栄養補給という目的も、多様な食糧品が市場に出回る時代には意味を持たなかった。

いわき市議会は、会計負担と一般メーカーへの悪影響などを理由に、昭和48年、ミルクプラントを廃止。ともに引き継いでいたヘルスセンターも、常磐ハワイアンセンター(スパリゾートハワイアンズ)といった競合出現の煽りを受け、昭和56年に閉鎖されている。

― 参考情報 ―
いわき民報・三和新報・夕刊ふくしま・磐城毎日・常磐日報 (いわき市図書館)
その11-新市の豆知識「いわき市営内郷牛乳処理所」 (いわき市役所)


開設> 昭和31年
昭31〜34> 内郷市営牛乳処理場・沼田一夫/福島県内郷市綴町榎下12
昭36〜41> 内郷市営牛乳処理場(処理所)/福島県内郷市御厩町久世原29-1
昭41> 内郷市は13市町村と合併し、いわき市となる
昭42〜43> いわき市営牛乳処理場/福島県いわき市平御厩町久世原29-1
昭44〜47> いわき市営内郷牛乳処理所/福島県いわき市内郷御厩町久世原119-1
廃止・閉業> 昭和48年
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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