発足は昭和33年、のち7〜8年ほど操業した、地場ミルクプラント。社長は日向農民公社(都城牛乳)を率いていた井上輝夫氏。原田一夫氏・大村静馬氏ほか、役員の顔ぶれも重複しており、商い銘柄は違うものの、同一オーナー・近在の関係会社だったようである。
規模としては都城牛乳のほうが大きく、本項乳業は傍系扱いか、県下の畜産・酪農史誌に言及がない。古い牛乳キャップを確認できず、往時のラインナップやタチバナ印の由来も不詳。掲載の一合瓶に加え、135ccヨーグルト瓶の特集に「SPヨーグルト」を掲載している。
昭和36年、日向農民公社を含むローカルメーカー3社が糾合、森永資本を迎え入れ宮崎協同乳業の設立に至るが、宮崎乳業は単体存立で推移、40年頃まで残った。最終的には宮崎協乳へ合流したのだと思うが、転廃業の時期と経過は良く分からなかった。