宮崎乳業宮崎乳業

(記事下段)

宮崎乳業

宮崎乳業(株)
宮崎県都城市下水流町158-1
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期

TwitterFacebookこの牛乳屋さんの記事を共有

発足は昭和33年、のち7〜8年ほど操業した、地場ミルクプラント。社長は日向農民公社(都城牛乳)を率いていた井上輝夫氏。原田一夫氏・大村静馬氏ほか、役員の顔ぶれも重複しており、商い銘柄は違うものの、同一オーナー・近在の関係会社だったようである。

規模としては都城牛乳のほうが大きく、本項乳業は傍系扱いか、県下の畜産・酪農史誌に言及がない。古い牛乳キャップを確認できず、往時のラインナップやタチバナ印の由来も不詳。掲載の一合瓶に加え、135ccヨーグルト瓶の特集に「SPヨーグルト」を掲載している。

昭和36年、日向農民公社を含むローカルメーカー3社が糾合、森永資本を迎え入れ宮崎協同乳業の設立に至るが、宮崎乳業は単体存立で推移、40年頃まで残った。最終的には宮崎協乳へ合流したのだと思うが、転廃業の時期と経過は良く分からなかった。


設立> 昭和33年
昭33> 宮崎乳業(株)・井上輝夫/宮崎県都城市下水流町
昭34〜39> 宮崎乳業(株)/宮崎県都城市下水流町158-1
自家処理撤退・独自銘柄廃止> 昭和40年前後
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、[宮崎県年鑑]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業