三ツ矢牛乳三ツ矢牛乳
三ツ矢本店の広告(昭和16年)
画像上:三ツ矢本店の広告(昭和16年)…同じ町内にあった本店側の案内(昭和32年前後に廃業)。現在は本項の旧支店のみ残る。
三ツ矢牛乳

三ツ矢牧場(三ツ矢支店)
三重県伊勢市吹上町497
新東洋硝子製・市乳180c.c.底面陰刻
昭和30年代初期

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明治期の創業以来、およそ50〜60年間に渡って市域に商われたローカル銘柄。地元選出の自民党代議士、三ツ矢憲生氏のご実家としても知られるところだ。

乳牛飼育・自家処理は昭和30年代末に手仕舞い。その後は森永牛乳大内山牛乳ほか、各社製品を取り扱う販売店さんへ転身、今も当地に営業が続く。現状販路は家庭宅配、小売店や喫茶店への卸し、工場・事業所の自販機などらしい。

◆三ツ矢本店と三ツ矢支店

かつては本家筋の三ツ矢本店(三ツ矢清太郎氏)が存在。本項メーカーは「三ツ矢支店」(三ツ矢光次郎氏)の位置付けで、吹上町内に2拠点を置くご商売だった。

明治末年の商工名簿は、既に清太郎さん・光次郎さんの二者を別々に記録する。本店は支店に対し2〜3倍の規模があった。支店が独立経営に移行したのは昭和30年頃。間もなく本店側は何らかの事情で閉業し、支店が得意先を継いだようだ。

上掲広告は往時の本店出稿。日本赤十字社三重支部・山田病院(現・伊勢赤十字病院)への納入をアピール。昔は病院の御用達が、衛生的なミルクプラントを証する一種のステータスだったため、牛乳屋さんの宣伝に良く使われた。

◆掲載瓶の形状・トレードマーク(家紋)について

登録商標「丸に三つ並び矢」の家紋が威風堂々の構え。小口径の紙栓(26mm)を採用した古い一合瓶。底部直径は通常のビンとほぼ同じだが、鶴口ゆえ背が数センチ高い。(⇒牛乳瓶の全体形状/開口部形状の種類と変遷について

王冠やコルク、機械(気開)栓から、計量法準拠の標準瓶・現行仕様の紙キャップ(34.1mm)へ移行する過渡期に、一部の業者さんが使った珍しいタイプだ。漂流乳業上の同例は東京・片平牛乳さん位で、ほとんどお目に掛かれない。

「三ツ矢」と言えば掲載の並列紋でなく、三ツ矢サイダーでお馴染み、放射状の三ツ矢マークが真っ先に思い浮かぶところ。全国に目を向ければ、富山の三ツ矢牛乳(有)さんが、まさにその「丸に三つ矢」の家紋を商標に用いていた。

― 謝辞 ―
三ツ矢牧場さんの現況ほか、kazagasira様よりご教授・ご協力頂きました。


創業> 不明ながら明治中期〜後期
明45〜昭09> 三ツ矢清太郎・三ツ矢光次郎/三重県宇治山田市吹上町
                         ※お二方は連名でなく、名簿上それぞれ別に掲載されている
昭30> 宇治山田市は4村を編入し、伊勢市に改称する
昭31> 三ツ矢商店・三ツ矢つたゑ/三重県伊勢市吹上町
          三ツ矢支店・三ツ矢光次郎/同上
昭34> 三ツ矢支店/三重県伊勢市吹上町497
昭36> 三ツ矢牧場/同上
電話帳掲載> 「三ツ矢牛乳店」「三ツ矢牛乳森永販売店」「森永牛乳三ツ矢販売所」
                   /三重県伊勢市吹上2-9-27
自家処理撤退・独自銘柄廃止> 昭和37〜38年頃
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、[宇治山田商工人名録]・[三重県商工案内]・牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成21年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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