桃林舎

(記事下段)

桃林舎

(株)桃林舎
新潟県新潟市関屋1832
石塚硝子製・900cc側面陽刻
昭和40年代初期

創業は明治22年。市内で本格的な搾乳販売に乗り出した、最初期の老舗。新潟獣医学校の併設や、地元同業を束ねる共販会社・新潟牛乳(株)の発起など、先駆者としての記録に富む。往時は新潟健康舎(のち新潟臨港開発)と並ぶ名店だった。

創始初代は古川与惣治氏。昭和31年時点の牛乳工場名簿では、代表のお名前が吉田姓に変わっている。戦後、オーナーの交代があったらしい。

昭和43年頃、信濃川の氾濫に備える分水路(関屋分水)開削を受け立ち退き、廃業(⇒関屋分水のできる前/新潟街角今昔)。掲載は恐らく大瓶の最終世代で、通常サイズは未発見。晩年の日配は約4千本(180cc換算)の規模と伝わる。

◆「桃林舎」の由来について

俄かには牛乳屋さんと思えない風雅な屋号は、刈羽砂丘を桃畑に変えた郷土の偉人・塚田源太夫の功績にあやかったものか。大正期、ご当地は堂々たる果樹園に発展。春の花見客向けに桃林駅(現JR越後線)が臨時開設されたほどだった。

同じ名乗りの牧場は全国に散見される。例えば明治11年、旧水戸藩士・石川強氏が授産事業として始めた東茨城郡の桃林舎。こちらは中国古典「書経」の一節、「牛を桃林の野に放つ」に因む。維新混乱期、帰馬放牛の故事に平和を願ったという。

古川氏は新潟・水原の生まれ。茨城に繋がる縁はないように思うが、桃林の命名起源を示す資料は見つからず、正確なところは良く分からなかった。

◆掲載ビンについて

五合入りの四角瓶は珍しい。当時この容量の標準形はトックリ型の丸瓶だった。一合詰の角瓶と異なり、断面は正方形でなく長方形。冷蔵庫のポケットに収まりが良く、一辺が短いので掴み易い。洒脱なデザインも相まって、遠目にはカントリー雑貨のようだ。

佐渡島に複数残置されていた一本で、往時に新潟市より船便でやってきたと見られる。酪農の盛んな島内に、本土の牛乳を持ち込んだ理由は不明。

昭和40年末〜50年頃にかけて、飼料高騰や石油ショックの余波で乳牛飼養が減じ、佐渡酪連(佐渡牛乳)も島外の生乳を移入するなど、島民需要を賄い切れない不足期はあった。しかしこれは、既に桃林舎さんが廃業した後の時代の話である。

― 謝辞 ―
掲載の瓶は「丘の上の山羊」tokko様よりご提供頂きました。

― 参考情報 ―
釼持計夫「新潟県畜産誌」から (mizusumashi-tei)
新潟港の近代化についての一考察 (長岡大学 研究論叢 第11号・松本和明氏)
報告書-新潟地震誌 (津波ディジタルライブラリィ)


創業> 明治22年
明44〜大06> 桃林舎・古川與惣次/新潟県新潟市白山浦1 ※資料によって2番地とも
昭09> 古川與惣治/同上 ※同じ住所に上述の新潟牛乳(株)(大正9年設立)も存在
昭31> 桃林舎・吉田茂/新潟県新潟市関屋掘割町2-1823
昭34〜36> 桃林舎/同上
昭39〜43> (株)桃林舎/新潟県新潟市関屋1832
昭43> 分水路(関屋分水)建設のため立ち退き、廃業
昭44> 同上 ※削除漏れ?
廃業> 昭和43年頃
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、[信越商工便覧]・[商工興信録]・[大日本実業聯合広告]・牛乳新聞社 [大日本牛乳史]・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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