最北端の牛乳(道場牛乳)最北端の牛乳(道場牛乳)

(記事下段)

最北端の牛乳 (道場牛乳)

道場吉雄⇒道場好(道場牧場)
北海道礼文郡礼文町大字船泊村字オションナイ291
山村硝子製・正180cc側面陽刻
昭和50〜60年代

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戦後およそ50年に渡り、「道場牛乳」「最北端の牛乳」を商った、礼文島の牧場。平成13年に廃業され、ブランドは消滅している。漁業で栄えた北の離島、戦後は“花の浮島”を謳う観光地。牛乳は住民の糧、旅客の想い出、近在ユースホステルの大定番。

その風情は隣島・利尻の森原牧場さん(利尻牛乳・平成3年に廃止)と似る。なお、奥尻島の石見牛乳さん廃業(平成18年)で、北海道島嶼部のミルクプラントは絶無となった。

◆島に乳牛がやって来た日

礼文への初上陸は明治36年。島南部の玄関口、香深村の戸長・相原節蔵氏が、自家用らしき2頭を持ち込んだ記録が最古。これを見た複数の島民が農漁業の傍ら牛飼いを始め、一時期は相当数に達し、搾った乳を売る者も現れた。

牛は寒さに強く、牧草類は低温で育つ。悪くない環境条件も、水産業が圧倒的な地歩を占める、消費人口の少ない島嶼部にあって飽和が早い。北部の船泊村では昭和初期、飼養農家2戸・計20頭未満のささやかな酪農だった。

往時の先駆者には高橋源蔵氏、福井隆則氏、竹中彦太郎氏らのお名前が挙がる。いずれも早々に転廃業されたようで、詳細な歩みは良く分からない。

◆戦後は南の柳谷氏・北に道場氏

昭和30年代初期の礼文島には、本項の道場仁三郎さん(船泊村)に加え、柳谷寿憲さん(香深村)運営の牧場があり、それぞれ自家搾乳と市乳販売を手掛けた。島の南北にひとつずつ工場を置く格好で、販売エリアも綺麗に分かれていただろう。

北部の久種湖畔に位置する道場さん方は、この頃すでに「最北端の牛乳」ポジション、50年代初期に柳谷氏が廃業して以降は、島内唯一の乳業でもあった。

柳谷氏は利尻・礼文における漁場開発の草分け、幕末期より代々功績を遺した柳谷一門の後裔と思う。弘化年間に青森から渡島の柳谷萬之助氏を筆頭に、子々孫々・親類縁者が島に集い、隆盛を誇った家柄と伝わる。

◆観光地の名物・ドラマの舞台として

戦後、礼文は多様な高山植物、広大な自然環境を背景に、観光産業が急伸。道場牧場さん所在は島内北限の観光スポット。自ら澄海(すかい)岬に食堂・売店を開き、牛乳も置かれた。昔日の旅記に、たくさん言及が残っている。

10月の礼文島へ / 礼文島には何がある? (旅好きポチのホームページ)
2000年8月 北海道編 PART2 [留萌〜礼文島] (空冷Zとの戦い)
北海道ツーリング 礼文島〜 (ヤマッキーのアジト)

さらに牧場とミルクプラント(直売所)は、昭和50年代放送の人気ドラマ「熱中時代」(日本テレビ系)のロケ地となった。劇中屋号は架空の「北野牧場」だが、銘柄は「最北端の牛乳」そのまま。ブランド認知度はいっとき大手並みだったかも知れない。

1980年の最北端牛乳と熱中先生 (熊式。)
午後の景色は熱中時代 (あぁ〜礼文島しま専科)
熱中時代のロケ地 (北海道チャリの旅 -1984-)

往時の牧場の様子(1)往時の牧場の様子(2)

搬送用のトラック直売所の入口附近

ミルクプラント内のビン詰め作業(1)ミルクプラント内のビン詰め作業(2)
ドラマに登場するかつての牧場・牛乳工場の風景(「熱中時代」教師編Part2・第1回-昭和55年7月放送より)…手動回転式の牛乳充填機が見もの。スロットは3つ、空き瓶を乗せて1/3回転毎に上下動させると、1回転後の初期スロット位置に瓶詰め牛乳として戻って来る(空き瓶設置⇒牛乳充填⇒紙キャップ打栓⇒完成品回収を繰り返す)。写っているビンは掲載瓶と同じ世代だ。

◆道場牛乳から最北端の牛乳へ

仔細不詳ながら、最初期の商いは「道場牛乳」。のち観光需要を意識して、まずビンだけが「最北端の牛乳」仕様にモデルチェンジ、平成期の代替わり(道場吉雄氏⇒好氏)前後に紙キャップも「最北端」銘に更新され、ブランド統一が成った。

殺菌温度は75℃15分間(パスチャライズ/HTLT)、往時は上部にクリーム・脂肪分が浮いていたとのこと。どうやらノンホモ牛乳だったらしい。

道場牧場の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
道場好氏名義の紙栓 (牛乳キャップとは) / 花の浮島 礼文島 (離島情報)

取り扱いは掲載の一合瓶(180cc)と、後年登場の小瓶(90cc)、計2種。小瓶は観光客向けの記念品的なラインナップ、お手頃サイズの持ち帰り用。未使用の牛乳キャップに当日の日付をスタンプし、来訪客へ進呈するサービスもあったようだ。

利尻/礼文ツアーレポート (きのくに牛フタ案内所)
北海道(1994.8.1-26)〜13.礼文(8.14) (旅の虫murabieはまた旅に出る)
日本の最果てにある礼文島と利尻島への旅 その4 (フォートラベル)

◆道場牧場の閉鎖と礼文酪農の終焉

学校給食の完全実施・畜産業の活性化を期し、全国に倣って礼文島も酪農振興を試みる。島内乳牛飼養は戦後も大して振るわず、昭和45年に至って11頭しかいない。行政は牧草地改良や80頭目途の増頭計画を打ち立てた。

昭和50年代末、道場さん方で30頭ほどを飼育、ささやかな最盛期を迎える。結局牛飼いの営みは低調に推移。高齢化・後継者不在、製造機器の老朽化を受け、平成13年末に道場牧場さんも廃業。島の乳牛は現在ゼロとなっている。

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◆かつての最北端・樺太の牛乳

最北端の座は時代によって異なる。戦前の過去に遡れば樺太だろう。日露戦争後、ポーツマス条約で南部を領有した日本政府は、島の開拓のため有畜農業を推進。昭和6年までに畜牛約3,700頭に達し、うち搾乳牛は1,000余を数えた。

昭和9年時点の全国乳業者名簿は「樺太庁」を立項。管内に14名の個人と1社・6組合を記録。生乳の大半は島内に7〜8箇所あった製酪工場が集荷し、牛酪(バター)への加工を行って本土に移出、もちろん一部は島内で飲用消費されたという。

牛舎とサイロ、乳牛の姿も見えるソリと輸送缶を用いた雪上の集乳風景

工場でのバター計量・箱詰め作業バターの紙箱には「テーブルバター(Table Butter)」と書かれている
樺太の酪農・バター製造などの様子を収めた宣伝映像(昭和9年)…全国樺太連盟・映像アーカイブ「産業の樺太 農業」より。牛舎にサイロ、ソリと輸送缶を用いた雪上の集乳、工場でのバター計量・箱詰め作業が写る。バターの紙箱には「テーブルバター(Table Butter)」と書いてあるようだ。

前記の名簿上は、久春内(くしゅんない)村・久春内酪農組合のバター工場が最北端だ。しかし別の商工資料にあたると、より北側の恵須取(えすとる)町に恵須取畜産合名会社が存在、同社は牛乳搾取業も営んでいる。

◆国境線の「ボリシコ牛乳」

さらに北上して樺太の北緯50度線、日露国境に接する敷香(しすか)町には、横綱・大鵬(納屋幸喜氏)の生家、ボリシコ牧場があった。経営者のマリキャン・ボリシコ氏は、ロシア革命を逃れ大正6年ごろ日本側に亡命、敷香で納谷キヨ氏と結婚。

ボ氏は携行財産で牧場を拓き、牛豚肉・乳製品を商って大繁盛。昭和15年、横綱はここで生まれた。夫妻は地元名士と知られ、王子製紙敷香工場の重役や政府要人とも交際。日本に軍馬200頭を寄贈し、返礼に牛乳販売権を得た(時期不詳)。

死線くぐり抜け、樺太から引き揚げ (より良い明日をめざして)
大鵬とロシアとの絆 (ロシアが気になる)
樺太に於ける牛乳取扱上の注意 (国立国会図書館デジタルコレクション)

かくて“ボリシコ牛乳”が誕生、キヨ氏も配達に汗を流す。敷香町の人口は3万超、他にも乳業家はいたはずで確証はないが、日本史上たぶん最北端の牛乳だ。

◆北方領土の概況・現代の最北端牛乳

北限更新の可能性を秘める北方領土だが、牛乳屋さん・ミルクプラントと呼べる過去事業は未確認。少なくとも昭和9年の名簿上、北方四島の所在は見当たらない。

とはいえ畜産に適した地域のこと、馬は各島の合計で約5,800頭いた。牛はぐっと減る。国後・択捉両島で約270頭、役務・肉用を除いた乳牛に限れば僅か10頭だ。それでも自給・お裾分けレベルの営みで、牛乳自体は多分あっただろう。

戦前の北方領土の姿 (北海道のホームページ)
北方領土の行政、交通・通信 (北方領土問題対策協会)
北海道豊富牛乳 200mlパック / 稚内牛乳 200mlボトル (牛乳トラベラー)

時は流れて平成13年、道場牧場さん廃業の結果、最北端のミルクプラントは豊富牛乳公社(天塩郡豊富町)に変わる。ところが同19年、稚内農協(稚内市)が新たに稚内牛乳のブランドを掲げて市乳事業に臨み、現・最北端の牛乳の栄誉をつかんだ。

― 関連情報 ―
礼文島に翼を休める鳥たち(春の久種湖) (北海道野鳥愛護会)
今日のトドちゃん号ニュース (今日の道北) / 稚内 サロベツ 利尻 礼文 (ほっかいどガイド)
北海道・礼文島写真館 最北の… (不思議な世界旅行 写真館)
礼文島でイレブンソフト その3 礼文島の星観荘 (ricchan@尼崎)


創業> 不明ながら戦後?
昭31> 道場仁三郎/北海道礼文郡船泊村オシヨンナイ
             ※同年、船泊村は隣村と合併し、礼文村となる
昭34〜36> 道場仁之助/北海道礼文郡礼文村大字船泊村字オシヨンナイ291
                    ※船泊村は「村」の字まで含めて地名となったもの(参考
昭39〜41> 同上/北海道礼文郡礼文村大字船泊村
昭42〜46> 道場吉雄/同上 ※昭和34年に礼文村は町制施行・ここまで未反映
昭47〜51> 同上/北海道礼文郡礼文町字船泊村
昭52〜60> 同上/北海道礼文郡礼文町大字船泊村字大備
昭61〜平04> 同上/北海道礼文郡礼文町大字船泊村字オションナイ291
平13> 道場好/北海道礼文郡礼文町大字船泊村字沼の沢
電話帳掲載> 最北端の牛乳店/同上 ※平成12年時点
廃業> 平成13年
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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