利尻牛乳(森原牧場)利尻牛乳(森原牧場)利尻牛乳(森原牧場)
利尻牛乳

森原良一(森原牧場)
北海道利尻郡利尻町沓形字新湊153
山村硝子製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代

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利尻牛乳

森原良一(森原牧場)
北海道利尻郡利尻町沓形字新湊153
山村硝子製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代

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最盛期は8牧場、少なくとも6つの直営銘柄が商われた利尻島で、離農・廃業相次ぐなか踏ん張り続けた牛乳屋さん。昭和57年頃には島内唯一のミルクプラント、同62年に最後の牛飼いとなって平成3年、半世紀の歴史に幕を下ろした。

森原牧場さんは市乳処理より撤退の前年、自家用だった乳性飲料を「ミルピス」の名前で売り出し始めた。今はこれが地域限定の名物・ご当地ドリンクとして知れ渡っている。(⇒利尻島限定飲料「ミルピス」って何?/北海道ファンマガジン)

◆利尻島の牧畜・搾乳業の発生

漁業目的の移住者が島に増えたのは明治の頃。複数の集落ができ漁師町の体裁が整うと、広大な原野に農耕・牧畜の発展も期待された。しかし労働力の安定確保は困難、また農事全般が住民の気風に合わず、開拓は遅れ気味だった。

明治30年、利尻漁業で成功を収めた小黒喜三治氏が、国有未開地の貸し下げを受けて東利尻村に放牧地を整備。種牛数頭を移入し、先陣を切る。

続いて44年、仙法志村に橋本嘉蔵氏が乳牛飼育に臨み、搾乳業を開始。大正2年には鬼脇村・大村耕太郎氏と、沓形新湊・日浦分太郎氏が未開地へ創業に至り、小規模ながら牛飼いと乳肉の生産が利尻島に根付いていく。

◆バトンタッチで森原牧場の誕生

前記、沓形新湊に拓かれた牧場は、間もなく日浦氏から大門竹次郎氏の経営に変わって昭和12年、盛衰の激しい漁業脱却を志す森原小一郎氏が譲受。土地・飼育牛・簡易処理場・販売権の一切を継ぎ、ここに森原牧場が成立した。

当面は漁師と兼業も昭和30年に畜産を柱と定め、以降は牛飼いひとすじ。草地・品種改良ほか近代化に取り組み、乳肉牛50頭の飼養へ拡大。戦後食生活の変化で「利尻牛乳」の需要も高まり、堂々のローカルブランドに定着する。

いっぽう仙法志の橋本氏は、土谷順一氏へ経営を委譲。のち昭和8年、干場勝三郎氏が買収して干場牧場となった。従って利尻町下には森原・干場の両牧場が店を構えたが、昭和53年頃に干場氏は製造を中止、62年に酪農も廃業されている。

◆利尻牛乳の終売とミルピスの新発売

過疎化で需要が減り、飼料は高騰、昭和40〜50年代に島内牧畜は勢いを失う。森原牧場さんに後継者はなく、高齢夫妻が乳牛飼育・搾乳・処理・販売の全てを賄う重労働。平成3年、やむなく撤退。利尻の牧場・乳業は消滅した。

現在、島の牛乳・乳製品は本道からの移入品。森原さん方の商いは冒頭の「ミルピス」へ。奥さま手造りの味は、旅行記・トラベルガイドですっかりお馴染みだ。

イチゴや人参、アロエ、行者にんにく…多彩なジュース類も取り揃え、昔の牛舎に併設した売店で旅客をもてなす。Web上には牛飼い当時のご苦労とか、ミルピス発売に至った経緯(いずれもIAキャッシュ)など、売店の「おばちゃん」と歓談の愉し気な挿話も多い。

利尻で食らう編 (山森★浪漫)/ 利尻で半世紀続く謎の飲み物 (おおさか遊食探求)
謎の飲み物「ミルピス」〜冬の利尻島旅行 (スーパーカブ中心生活)

◆掲載瓶・利尻鴛泊YHについて

掲載はご好意で頂戴した一本。昭和52年頃、島内のユースホステル(「歌って踊れる」利尻鴛泊YH)で飲用後、記念に持ち帰った方の想い出が詰まった空き瓶。紙キャップの裏には脂肪分がべったり付いてくる、ノンホモ牛乳だったそうだ。

投宿先は様々なエピソードが語り継がれる名所。回顧サイト「1970年代、80年代のおしどまりユース(IAキャッシュ)に詳しく、ここには別の牛乳についても言及がある。

毎日牛乳を飲んでいた、○○牛乳!○○が思い出せない
ビンはガラスの瓶、いわゆる牛乳瓶で紙のふた、ふたの裏には脂肪が固まっていた…
美味しかったあの牛乳!…小黒牛乳でした!(⇒おしどまりユース・30年前の港の見送り

回想に出てくる「小黒牛乳(小黒牧場)」は、前記、利尻牧畜の元祖・小黒家のブランド。同57年頃に廃業の結果、森原さんが島内唯一の乳業となった。「ふたの裏には脂肪が固まっていた」、つまり利尻牛乳さんに同じくノンホモだったらしい。

◆利尻島内に存在した諸メーカー

昭和30〜50年代の[全国乳業年鑑]名簿を集約すると、利尻郡下には森原さんに加え、個人経営の牛乳工場が過去に5軒ほど操業したと確認できる。

干場勝二/利尻町仙法志村字御崎190
塩谷猛男/東利尻町鷲泊字本町
吉田鉄蔵/東利尻町鷲泊字栄町59
小黒喜三郎/東利尻村鷲泊字富士野
湊真正/利尻郡鬼脇村字金崎112

いずれの古瓶も入手は困難。利尻牛乳ビンの正面は、日本百名山の筆頭を飾る利尻岳(利尻富士)を模したトレードマーク。“山”の麓に、ウシと牧草のシルエットが見える。残念ながら、最大50頭を飼育した牛さんは既に引き取られ、もうその姿はない。

― 謝辞 ―
掲載(1)番瓶や当時のお話を「かちょうの今日も行ってきまーす」様よりお寄せ頂きました。

― 関連情報 ―
NHKモーニングワイド 1991年11月1日 (NHKアーカイブズ) ※サイト改変・内容脱落
森原牧場の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ) / ミルピスの紙栓 (牛乳キャップとは)
ミルピス商店 (朝日新聞デジタル) / 利尻島・四季彩-春 (急行「アルプス」)


大02> 日浦分太郎氏が沓形新湊に牧場を開設
             ※時期不詳ながら間もなく大門竹次郎氏が経営を承継
昭09> 大門竹二郎/北海道利尻郡沓形村

創業> 昭和12年、森原牧場として ※上記、大門氏の牧場を譲受
昭34〜昭46> 森原小一郎/北海道利尻郡利尻町沓形字新湊153
昭47〜平04> 森原良一/同上
電話帳掲載> ミルピス商店/利尻郡利尻町沓形字新湊150
廃業・独自銘柄廃止> 「利尻牛乳」は平成3年に廃止、以降は「ミルピス」製造
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成26年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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