戦後およそ50年間に渡って商われた、県西部のローカル銘柄。平成9年度の乳業施設再編合理化で製造を中止、ブランドは消滅。以降は白バラ牛乳の販売店さんとして引き続きご営業も、会社法人は既に無く、現況は今ひとつ良く分からない。
◆松江乳業の子会社として発足
熊野屋の原点は、かつてあった熊野産業組合(島根県松江市)の米子支店だ。同組合は統制団体・松江牛乳販売組合への改組を経て、昭和25年に解散。この際、所属の酪農家メンバーを主体に、後身の松江乳業が新規設立される。
米子支店は戦時に余力なく閉鎖中のところ、過去にそこで牛乳販売に携わっていた畑春吉氏が、松江乳業のバックアップのもと独立再興を望んだ。意向を汲んだ同社は直接進出を控え、昭和26年、子会社・熊野屋牛乳を当地へ置くこととする。
◆熊野屋の名前は熊野大社から
熊野屋は松江乳業より処理機器等の払い下げを受け、また同社経由で原料乳を仕入れる契約で営業開始。社長を任された畑氏は夫妻の協働で商売を盛り上げ、やがて松江に匹敵するほどの大きな業績を挙げるようになったという。
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画像上:熊野屋牛乳のテレビCM(昭和57年)…静止画のローカルCM。自社ブランドに加え、オール日本スーパーマーケット協会の旧PB「トプコ」銘のパックが並んでいる。YouTube動画より(現在は既に削除されており、オリジナルのURLを失念)。 |
商号「熊野屋」は、戦前組合の名を継ぐ面もあろうが、本義は所在の米子市祇園町の氏神と、松江市・熊野大社の祭神(スサノオノミコト)が同じ縁に由来する。
◆後年の展開と掲載瓶について
松江乳業は昭和50年代に森永乳業の傘下に入り、以降は受託メインの業態へ転換。恐らく資本関係も整理され、後年の松江乳業と熊野屋牛乳の両社に、格別の縁は無かったと思う。熊野屋は前記再編に至るまで、完全な独自路線を堅持した。
掲載の八角瓶は昭和50〜60年代の流通品。コーヒー・フルーツほか色物専用と思しき一本。他種瓶装は未見で、広告資料も入手できず、仔細は不詳。学校給食・宅配・店頭小売を通じて地元に良く知られたメーカーだが、現役時代の情報は多くない。
― 謝辞 ―
掲載の瓶はflounder様よりご提供頂きました。
― 関連情報 ―
熊野屋牛乳の紙栓 / 松江乳業の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)