昭和牛乳 (1)昭和牛乳 (1) 昭和牛乳 (2)昭和牛乳 (2)
昭和牛乳 (1)

昭和牛乳(株)
愛知県津島市上新田町2-265
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜後期
昭和牛乳 (2)

昭和牛乳(株)
愛知県津島市上新田町2-265
石塚硝子製・180cc側面陽刻
昭和43年頃〜50年代

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かつて津島・愛西市の学校給食牛乳を一手に担い、少なくとも半世紀に渡って「昭和牛乳」のブランドで親しまれた、県西部のローカル乳業さん。乳飲料・果汁系ラインナップを減じつつ、ビン製品は晩年まで存続。販路は限られ、現役時代の情報は少ない。

永らくの商いも後継者不足、市況低迷を受け、平成26年3月末に製造より撤退、販社へ転換。同時に名古屋牛乳も市乳事業を廃止。豊橋の中央製乳を集約先とする、3社連携の業界再編だった。加えて県下では、みどり乳業が単独廃業を決している。

◆海部地方の酪農史

津島市を含む旧海部郡の酪農は、戦後に大きく伸びた。昭和25年頃から和牛に替わって乳牛導入が進むと、農閑期に搾乳を行い、田植えシーズンは水田耕起・運搬使役に用いるスタイルが確立。機械化前の農家経営全般を、ホルスタインが支えた。

乳牛飼育は郡全域に広まったものの、34年の伊勢湾台風で大打撃。壊滅的な被害を喰らった南部一帯は、以降ほとんど牛飼い再興の動きが見られず、酪農の営みは立田村(現・愛西市)を中心に、木曽川沿岸へ移行・定着したという。

◆掲載瓶・最終世代について

掲載2本は昭和期の古瓶。「生産―直売」のフレーズを正面に据えた、力強い構え。最終世代のビンも、ほぼ同じデザイン。「生産」を字義通り解釈すれば、ミルクプラントだけでなく(工場とは別の場所で)牧場を経営、自家搾乳の業態だったと受け取れる。

「いつも新鮮 郷土の昭和牛乳K.K」、八角(2)番瓶で地場産品アピールを強化。飲み口に残存していた紙キャップは、製造日付標示の「昭和コーヒー」。時期的に判別困難ながら、200cc移行後の色物・加工乳専用瓶装なのかも知れない。

― 参考情報 ―
昭和牛乳のコーヒー牛乳、飲めなくなるって本当!? (無惨に無銭で無線な日々)
昭和牛乳の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙栓 (牛乳キャップとは) / 昭和牛乳 (乳業探訪記)


設立> 不明ながら戦後?
昭31> 昭和牛乳(株)・服部善夫/愛知県津島市向島須ヶ脇
昭34〜56> 昭和牛乳(株)/愛知県津島市上新田町2-26
昭59〜平13> 同上/愛知県津島市上新田町2-21
電話帳掲載> 同上
自家処理撤退・独自銘柄廃止> 平成26年
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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