恐らく戦後から昭和40年代にかけて、市域に流通したローカル銘柄。現役時代の情報に乏しく、沿革仔細は不詳。昭和45年、複数の地場メーカーが合資協業した会津乳業協同組合に参画され、間もなく独自ブランドは消滅したようだ。
以降は組合の新工場へ製造を移管し、組合名義の統一ブランドを商う販売店さんに転換。昭和50年代後期まで営業続行も、現在は廃業されている。旧工場は喜多方市内の梅竹地区、後年の電話帳や商工録で確認できる販売所は関柴町と松山町にあった。
掲載(3)番は、ど真ん中に鉄道信号、両脇から列車が迫り来る、ダイナミックな構図が目を引く一本。男の子が喜びそうな楽しいデザインで、駅売りにもぴったりだろう。遠近感を強調したラインアートのタッチは、県下の大黒屋牛乳さんの絵柄と良く似た雰囲気である。