太田牧場太田牧場

(記事下段)

太田牧場

(株)太田牧場
大阪府大阪市東淀川区西大道町1-36
石塚硝子製・180cc側面陽刻
昭和50〜60年代

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発足は大正11年。以来80年に渡って商われた、東淀川のローカル銘柄。平成15年に市乳事業より撤退、ブランドは消滅している。創業家は、洋種牛育成の盛んな故郷の生産地・岡山から、消費地・大阪へ直接乗り出し、搾乳販売で身を立てた成功例だ。

掲載の八角瓶装は、コーヒーやフルーツなどの色物、または栄養強化系の加工乳向けと思しき、昭和後期に流通の一本である。

◆岡山から大阪へ・岡崎牧場に学ぶ

初代・太田武太氏は岡山県上道郡の出身。当地方は明治中期に牛飼いが定着、京阪神の牛乳屋に対する乳牛供給地帯に発展。商売の有利を知ると、自ら大阪・神戸に出て搾乳販売を試みる人が多く、都市部での起業は数十名に及んだ。

岡山県畜産史 第2編 酪農の展開 (おかやま畜産ひろば)

武太氏も牧場経営に将来を見い出し、大正8年に来阪。同郷の先駆者に縁を求め、東淀川区十三西之町の岡崎牧場(⇒岡崎牛乳)で約3年間の住み込み働き。同11年、同区西大道町に独立を許され、ここに太田牧場が成立する。

◆太田さん三兄弟・大阪乳業界に名を馳せる

武太氏の兄・久七氏は、遡ること明治38年に大阪を目指し、やはり岡崎牧場に寄寓。10年間の下積みを経て大正2年に独立を果たしている。当初は中津町、のち中河内郡小坂町(現・東大阪市)へ移転、牛乳の製販を軌道に乗せた。

長兄・柾惠氏は大正7年、三嶋郡吹田町(現・吹田市)に販売店を開業。恐らく原料乳は久七氏の自営牧場ほか、外部仕入れで事業を確立。翌8年、武太氏が大道町に牧場を構え、三兄弟は大阪の街に揃って成功を収める格好となった。

戦後経営が続くのは、本項の太田牧場のみ。兄弟同士の連携はあったはずで、商売は合流の形を採ったのかも知れない。また武太氏は岡崎牧場の主・岡崎趙七氏の長女を妻に迎えた。両家の縁も一層浅からぬものがあっただろう。

◆戦後復興と急速な発展

武太氏の太田牧場は、昭和11年には100頭飼いの規模。商いが順調に伸びた様子をうかがえる(同時期、久七氏は約80頭を飼育)。戦中、物資欠乏や企業統合で著しい衰退に見舞われたことは想像に難くないが、この間の仔細は不明。

のち昭和37年の記録を見ると、飼養頭数200頭の陣容をもって完全復活。自家搾乳での賄いは4割が限界、原料乳の過半を附近の酪農家から追加調達の大盛況。戦後、乳製品需要の増加に乗って飛躍的に発展したと分かる数字だ。

◆牧場の郊外移転・特別牛乳の廃止

大阪市内は宅地化が進み、乳牛飼育は臭気・糞尿処理の問題で難しくなっていく。県当局と畜産組合は昭和42年、都市牧場の郊外移転先として枚方市穂谷に畜産団地を完成。間もなく太田牧場の牛もここへ移り、創業地には工場だけが残った。

枚方八景と周辺の探訪・お店ご紹介(その5) (まいぷれ)
平成19年度 里地調査業務報告書 (生物多様性センター)

往時は普通牛舎4棟、特別牛舎1棟を市内ミルクプラントのそばに置き、大阪で唯一の?種類別:特別牛乳(⇒関連:中部乳業)も生産されたが、牧場移転を契機に廃止。ラインナップ上は通常の牛乳、「太田牧場低温殺菌」に切り替わった。

◆市乳事業から撤退・ブランドは消滅

太田牧場は府下屈指のローカル銘柄に育つ。地元学校給食の定番、宅配網は晩年まで8市5区・計26店舗が営業。今も古い木製受箱が各エリアに昔日の面影を残す。

“乳牛牧跡”と“太田牧場跡” (大阪 アホげな小発見。とか)
太田牧場(東淀川)の牛乳箱 (牛乳キャップ収集と販売情報-主に関西)

翻って界隈は消費人口の多い激戦区。中小ひしめき、大手の攻勢激しく、常に競争を強いられる場所だ。平成期は飼料・資材のコスト急騰、嗜好変化・少子化による需要減、先行き不透明な事業の後継者問題に直面したと思う。

平成15年、乳業施設再編合理化の取り扱いで、太田牧場さんは市乳事業から撤退。80年余の家業を手仕舞いも、会社法人はなお存続。工場跡地に建つマンションほか、一帯の地主さんであり、諸物件の不動産管理を行われているようだ。

― 関連情報 ―
太田牧場の紙栓(1) / 同・(2) / 同・(3) (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
太田牧場の“生”牛乳 (大阪 アホげな小発見。とか) / 牛乳事情 (なるほどなあ)
太田牧場のノベルティーコップ (牛乳グラス☆コレクション)


創業> 大正11年
昭09> 太田武太/大阪府大阪市東淀川区南大道町1549
昭31> (有)太田牧場・太田直行/大阪府大阪市東淀川区西大道町1-36
昭34〜39> (有)太田牧場/同上
昭40〜53> (株)太田牧場/同上
昭55> 西大道町は住居表示の実施により大桐となる
昭56〜平13> 同上/大阪府大阪市東淀川区大桐1-7-10
電話帳掲載> 同上
市乳事業撤退> 平成15年、現在は不動産管理会社として存続
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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