亀山牛乳亀山牛乳

(記事下段)

亀山牛乳

伊東牧場(亀山牛乳伊東処理工場)
三重県亀山市天神町3764
新東洋硝子製・180cc側面陽刻
昭和40年代中期

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市域に長らく商われた、亀山のご当地銘柄。創業は古く明治〜大正期まで遡ると見られるが、沿革は不詳。戦後、一帯のメーカーが統合・販社転換を進めるなか、独立営業を維持。昭和63年頃に自家処理より撤退され、明治牛乳の販売店さんとなっている。

◆戦前、亀山牛乳合同処理所の協業体制

昭和13年、日支事変が勃発。家畜飼料は配給制に変わり、翌14年、酪農業調整法のもと、工場の整理が始まる。当地の業者さんらは東丸町に亀山牛乳合同処理所を設置、集約処理・共同ビン詰めに移行。各社が自らの得意先に分配する協業体制を採った。

本項の伊東氏も、この協業に参画していたと思う。戦後にメンバーは散開し、それぞれの個人経営に回帰。旧・合同拠点は草河牛乳さん(現・草河乳業、森永/大内山牛乳販売店)が買い取り、自社工場として継続利用したようだ。

◆戦後、亀山乳業協同組合と伊東処理場

昭和29年、亀山町は周辺4村と合併し、亀山市に発展。このころ市内に6〜7軒の牛乳工場を擁したが、競争激化・大手資本の進出を受け、一部は廃業に至る。

そこで昭和38年前後、岸有隣牧場(栄町)、草河牛乳(東丸町)、川戸牧場(辺法寺町)、川崎村酪農組合(田村町)さんらは、事業の一本化を決断。本町に亀山乳業協同組合を興し、統一ブランド「三重牛乳」を掲げ、新規展開・巻き返しに乗り出す。

しかして協同組合も運営が行き詰まり、昭和40年代末に解散。加盟店の多くは森永乳業の請け売りに転じた。掲載の亀山牛乳(伊東処理工場)は、組合に参加しなかった市内唯一の牛乳メーカーで、結果的に亀山市最後のミルクプラントとなった。

― 関連情報 ―
亀山牛乳の紙栓 / 三重牛乳・草河牛乳の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
三重県の牛乳キャップ01 (ほどほどCollection)


創業> 不明
大11> 伊東長太郎/三重県三重郡塩浜村
             ※昭和5年、塩浜村は四日市市に編入されており、後年の所在とは異なる
昭09> 伊東長太郎/三重県鈴鹿郡亀山町大字阿野田
昭29> 亀山町は周辺4村と合併し、亀山市となる
昭31> 伊東処理場・伊東長太郎/三重県亀山市天神町
昭34〜51> 伊東処理場(亀山牛乳)/三重県亀山市天神町3764
昭52〜62> 亀山牛乳(有)/同上
自家処理撤退・独自銘柄廃止> 昭和63年前後
電話帳掲載> 「伊東ミルク販売」「明治牛乳 亀山宅配センター」
                   /三重県亀山市天神1-1-12
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、[三重県商工案内]・牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成27年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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