東京牛乳東京牛乳

(記事下段)

東京牛乳

東京乳業(株)
東京都府中市是政4-8-1
石塚硝子製・正200cc側面陽刻
昭和60年〜平成5年頃

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発売は昭和60年頃。のち平成10年まで都下の学校給食用に出荷されたらしい、短期展開のローカル銘柄。製造元は森永乳業系列のミルクプラントで、コーヒー・フルーツなど色物を中心に、請け負いがメインの会社だった。

遡って過去は、長きに渡り三井グループの傘下。東京のほか北海道に工場があり、ともに同じく「三井牛乳」の商いが原点。東京側で流通した三井牛乳はビン現物を未回収のため、三井時代の仔細は北海道・三井牛乳のほうに詳述する。

◆三井から森永へのバトンタッチ

もとは大正7年に発足した三井財閥のお抱え牧場に端を発し、三井農林乳業による規模拡大・世田谷から府中への移転を経て、往時は堂々の「三井牛乳」銘を商った。

しかし業界の市況変化を受け、北海道側(三井農林単体)は昭和49年に製酪事業から撤退。東京側(三井農林と三井不動産の合資)は同58年、工場施設・営業権を譲渡して、以降は森永乳業の系列会社となった経緯がある。

森永傘下では必然的に同社製品の受託が大半を占め、「三井」銘を廃止。60年に商号変更、東京乳業(株)の看板に変わると、出荷の都合上、学乳(集団飲用)向けに新規銘柄を策定。掲載の通り、これまた堂々の「東京牛乳」を供給したようだ。

◆掲載瓶・ハミルト買収について

東京乳業へ改称した昭和60年、乳酸菌飲料「ハミルト」をフランチャイズ展開する(株)ハミルト本社(豊島区千早町)より、製造・販売業務を引き継いでいる。しばらくは東京乳業製のハミルトが出回っていたかも知れない。

宅地化の進むエリアに操業継続は難しく、消費の落ち込みも響いて平成10年、森永の生産拠点統廃合(乳業施設再編合理化の取り扱い)で工場は閉鎖、東京乳業は解散に至る。

本社・工場の所在は府中市だが、この瓶は立川市の玉川上水沿いにあった営業所で入手。出荷アイテムの中継地点みたいなところで、小さな事務所の脇に相当量のプラケースが積み上がっていたのを覚えている。ずいぶん昔の話だ。

― 参考情報 ―
2005年3月期決算説明会 (森永乳業株式会社) ※PDF
三井農林乳業の紙栓 / 東京乳業の変遷・森永OEM製品 (牛乳キャップとは)
三井農林乳業の紙栓 / 東京乳業・森永OEM製品 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)


創業> 大正7年、三井合名会社・下高井戸牧場として開設
          ※所在は東京府荏原郡松沢村(現在の世田谷区桜上水)
昭16> 三井合名会社・不動産課は分離独立、三井不動産(株)となる
          ※牧場資産一切は三井不動産の所管となる

昭23> 市乳事業開始 ※東京側の市乳事業開始
昭28〜30> 三井不動産(株)下高井戸工場(下高井戸牧場)・諏訪通
                 /東京都世田谷区上北沢町
昭31> (特別牛乳)三井・山尾忠治/東京都世田谷区上北沢町1-428
           ※山尾忠治氏は三井不動産の社長(当時)
昭34〜36> 三井農林(株)/同上 ※この頃より実質運営を三井農林が担当
昭37> 三井農林と三井不動産が三井農林乳業(株)を共同設立
          府中市に工場を新設し、世田谷区の牧場は閉鎖

昭39> 三井農林乳業(株)/東京都府中市是政136
昭40〜59> 同上/東京都府中市是政4-8-1
                ※昭和58年に森永乳業が資本参加、系列下に入る
昭60> 4月・(株)ニットーへ改称、10月・(株)東京乳業へ改称
昭60> (株)ニットー/同上
昭61〜平04> (株)東京乳業/同上
工場閉鎖> 平成10年、森永の拠点統廃合・乳業施設再編合理化による
独自銘柄廃止> 「三井」銘は昭和60年前後、「東京」銘は平成10年前後の廃止
電話帳掲載・公式サイト> 東京乳業としては未確認

※三井家創始の牧場経営・「三井牛乳」の展開は北海道・三井牛乳の項に譲る

処理業者名と所在地は、[食糧年鑑]・[日本乳業年鑑]・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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