ジェルシー牛乳(寺山ジェルシー)ジェルシー牛乳(寺山ジェルシー)

(記事下段)

ジェルシー牛乳

(有)寺山ジェルシー農園(弓場ミルクプラント)
埼玉県川越市大字寺山152
新東洋硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜後期

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大正期の発足以来、およそ80年に渡って商われた、川越のローカル銘柄。地元宅配や店頭小売、学校給食を通じ相応の知名度を誇った。今も同社名で当地に健在も、平成に至り自社銘柄を廃止され、明治牛乳の販売店さんとなっている。

元祖は狭山市にあった(株)ジェルシー農園で、ここから暖簾分け・支舎の形で独立したところらしい。狭山と川越の関係を直接示す資料はなく、仔細は不明。経営者はそれぞれ違い、特に戦後の歩みは大きく異なる(狭山側は昭和38年、明治乳業の傘下に入った)。

◆川越最古の老舗と狭山/寺山ジェルシーさん

川越における先駆は「阿部親昵牛乳所」(後の「川越牛乳」・阿部朔次郎氏〜美興氏・昭和30年代末廃業)で、明治12年前後の創始。街に残る晩年の宅配受け箱は、狭山のジェルシー農園と同じヒマワリのマークを掲げている。

川越牛乳の木箱 (Flickr-Zenji-On the Road)
川越・巾着田へ (風に吹かれて Blowin' in the Wind 今でも旅の途中)
小江戸川越〜遠い昔の洋風建築・久保町界隈 (のらり蔵り)

戦後、川越牛乳は狭山ジェルシーの下請け・協力工場になったようだ。「川越牛乳が製造したジェルシー牛乳」、つまり狭山側のOEM商品も存在し、状況がややこしい。

寺山ジェルシーの立ち上げは大正5年(狭山ジェルシー開業の3年後)。昭和9年時点の代表者は、弓場疇夫氏。たぶん狭山側で経験を積んだ牧夫さんの(支舎としての)独立起業だろう。掲載の通り瓶も別々の仕立てで、経営は完全に分かれていたようだ。

◆ジェルシー牛乳を求めて・小江戸川越探訪記

平成6年頃、現地を直接訪ねた。西武線・本川越駅から地図を片手に徒歩30分。市内にはまだホーロー製の立て看板が多く残っていたが、青緑色にジェルシー銘のオレンジが鮮烈なそれらは、隅に追いやられ、実際に売っているお店が見当たらない。

嫌な予感を抱きつつ目的の場所へ辿り着くと、旧牛舎と思しき敷地は駐車場となり、牛一匹の姿も確認できず…そのとき既に、自社銘柄は廃止されていた記憶がある。当時の情報源と言えば電話帳くらいのもの。メーカーとベンダーの区別は難しかった。

― 謝辞 ―
掲載瓶は齣子様よりご提供頂きました、ありがとうございます。

― 関連情報 ―
寺山ジェルシーの紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ) / 同・情報 (ごった煮)
同・紙栓 (牛乳キャップとは) / 同・宅配受箱 (骨董建築写真館)


創業> 大正5年
昭09> 弓場疇夫/埼玉県入間郡山田村福田
昭30> 山田村は川越市に編入される
昭31> 寺山ジェルシー農園・弓場一郎/埼玉県川越市大字寺山152
昭32> (有)寺山ジェルシー農園を設立
昭34〜48> (有)寺山ジェルシー農園/同上
昭50〜平04> (有)寺山ジェルシー/同上
電話帳掲載> 「(有)寺山ジェルシー」「明治牛乳寺山ジェルシー」/同上
自家処理撤退・独自銘柄廃止> 平成6年前後?
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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