野原牛乳野原牛乳

(記事下段)

野原牛乳

野原牧場(野原ミルクプラント)
埼玉県南埼玉郡久喜町久喜本547
大和硝子製・180ml側面陽刻
昭和30年代後期〜40年代初期

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明治期の創業以来、およそ70〜80年に渡って商われた、県東部のローカル銘柄。掲載瓶の飲み口に残存の紙キャップは、「野原牛乳/茨城県古河市原町/トモヱ乳業(株)」を標示。野原さん方が処理・瓶詰めを委託していたものと見られる。

過去資料を辿ると、昭和40年頃に工場を閉鎖(牛飼い・生乳生産も中止)、以降は製造を他社に委ね、既存顧客に野原牛乳の供給を続けたらしいご様子が浮かぶ。なお、晩年は合名会社野原ミルクプラントとして法人化されていた。

◆のち明治乳業の販売店に転換?

掲載は満面の笑みを浮かべる坊やの絵が愉しい一本。いつまで自家搾乳(牧場直配)を行っていたのか、「野原」銘のアイテムはいつ終息したのか、沿革仔細は不詳。残存紙栓それ自体は、昭和40年代極初期の構えという(kazagasira氏情報)。

野原牧場の三代目?督郎氏は、昭和40年にできた埼玉県明乳会(現・埼玉県明乳事業協)の初代会長を務めた。これは県下の明治牛乳販売店主さんらの集い。恐らく近在の「明治牛乳久喜宅配センター」(平成25年前後に廃業)が、後年の業態と思う。

― 関連情報 ―
野原牧場の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)


創業> 不明ながら明治中期?
明35> 野原善兵衛/埼玉県南埼玉郡久喜町本町2
昭09> 野原常吉/埼玉県南埼玉郡久喜町久喜本
昭31> 野原牧場・野原督郎/埼玉県南埼玉郡久喜町久喜本547
昭34〜36> 野原牧場/同上
昭39> 野原ミルクプラント/同上
昭46> 久喜町は市制施行する
電話帳掲載> 明治牛乳久喜宅配センター/埼玉県久喜市本町2-9-9 ※平成24年時点
自家処理撤退> 昭和40年前後、以降はトモヱ乳業へ製造委託
独自銘柄廃止> 時期不詳ながら昭和50年までには廃止
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、[埼玉県営業便覧]・牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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