沿革不詳ながら、戦後創業と思しき牛舎併設メーカーさん。昭和38年前後に牛飼いを止め、以降は乳酸菌飲料(液状ヨーグルト)の製造に特化。飲用牛乳は他社より仕入れ・請け売りとし、なお4〜5年の商いを経て、完全廃業に至ったものと見られる。
白い液体を入れる容器に、普通は白い印字を使わない。掲載の六角瓶はコーヒー・フルーツなど色物向けだろうか?牛乳びんを両手で抱える赤ちゃんの絵は、県外乳業にも採用例あり、製瓶会社/乳業資材代理店の定型素材だったようだ。
大空襲を免れ、戦後は交通の要衝として栄えた大宮市。旺盛な市乳需要を背景に、昭和30年代中期には5軒のミルクプラントが操業。しかし大手の進出、一帯の都市化で撤退相次ぐ。工場は同40年までに天神山牧場を残すのみとなり、現在はゼロである。