創業は明治30年代の初め頃。前橋にあった中村牛乳の、桐生支店として発足と思しき所。およそ90年に渡る牧場・処理工場の運営を経て、昭和58年前後に自家製造を中止、以降は明治牛乳の販売店さんとなっている。
かつて現地には昭和41年廃止の町名をひいて、「明治牛乳・清水町販売所」の看板が掛かっていた(撤去済み)。ミルクプラント閉鎖に先立ち、ラインナップを棲み分けのうえ、自社/明治製品の併売を行う過渡期があったのかも知れない。
◆本店は前橋市の中村牛乳店
本店は明治30年に開業の老舗。育成牧場を赤城山麓に置き、搾乳販売を担う前橋本店と、桐生・渋川に同支店を設ける。二代目?中村勉次氏は大正15年に至り、「中村織物工場」を併設経営した実業家で、市会議員も務めた人物だ。
明治37年刊行の[群馬県営業便覧]では、本店と渋川支店の掲載が漏れる一方、桐生市の項に「中村支店
桐生牛乳搾取所
中村千代咲/山田郡桐生町大字西安楽土」を確認。桐生支店は早期成立の様子をうかがえる。
◆前橋・渋川・桐生各店舗の変遷
本店は中村勉次氏から正雄氏、戦後は広作氏へ代替わり?織物工場は早々に手仕舞い、牛乳を永らく商った。昭和60年前後まで中村ミルクプラントの名前で操業、のち他社筋の販売店に転換。平成21年前後に完全廃業されたらしい。
渋川支店は中村國吉氏の運営。明治末期〜昭和10年代にかけて存立。市内業者には別途、同姓・中村石松氏もいて、こちらは昭和45年前後まで残った(関連不詳)。
本項掲載の桐生支店は、昭和初期に中村千代咲氏から小林六四郎氏の名義に変わる。しかし中村の屋号は受け継がれ、現在なお「小林さんちの中村牛乳店」という塩梅だ(業界名簿では「小林牛乳店」の呼称で掲載の時期もある)。
◆桐生の牛乳屋さん今昔
明治41年刊行の[桐生繁昌記]は、「牛乳搾取販売所は桐生町に四箇所あり」とし、所在と店名を簡潔に記す。前出の営業便覧や後年資料で補完すれば下記の通り。
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東安楽土の小林…小林七郎兵衛氏(常盤町)
※六四郎氏との関連は不詳
西安楽土の中村…本項メーカー
新宿の黒保根…黒保根牛乳店・横坂新造⇒善司郎氏(稲荷町)
新宿の吹上…桐生織物(株)吹上牧舎(新宿上町) |
後年存続は中村・黒保根の2社。これに大正〜昭和初期に勃興の福真牛乳(錦町)、田中牛乳(東久方町)、光清舎・丸山牛乳(宮前町)の3社が加わり、戦後桐生の需要を支えていく。
織物で栄えた街ならではの5軒営業も、昭和30年代中期に黒保根さんは脱落。57年頃に丸山さんが廃業、同じ頃合いに中村さんは自家処理より撤退。平成期に福真さんも明治乳業の請け売りに転じ、今は田中牛乳さんが界隈唯一の牛乳工場だ。
― 関連情報 ―
中村牧場
(想いで〜夢)
中村ミルクプラント(前橋)の紙栓
(牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
群馬の資料-デジタルライブラリー
(群馬県立図書館ポータル)