Nyuzen-Rakuno200-1-1s.jpg (15318 bytes)ラクノ牛乳(入善酪農)

(記事下段)

ラクノ牛乳 (入善酪農)

入善町酪農農業協同組合
富山県下新川郡入善町入膳6253-1
大和硝子製・正200cc側面陽刻
昭和40年代中期〜後期

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戦後およそ70年に渡って商われる、県北の農系銘柄。平成期に組合工場は閉鎖され自家処理より撤退も、とやまアルペン乳業さんの手による紙パック製品(200ml/1000ml)が今なお健在。ただ、これは請負なのかブランド譲受なのか、商流は定かでない。

◆入善町の酪農発展・市乳工場の設置

振り出しは昭和22年。県農業会の斡旋で、有志15名が北海道から乳牛を導入。やがて各集落に牛飼いの営みが波及し、生乳生産は漸次増えていく。

いっぽう販売面は、下新川郡酪農協(黒部市)や北日本乳業(高岡市)へ出荷の傍ら、釜で沸かした牛乳をサイダー壜に詰めての戸別宅配に始まり、地元中小メーカーへの卸し、学校給食への参入など、地区ごとにバラバラ。乳価・納入量・集金は極めて不安定だった。

ついに昭和27年、町域の酪農家一同が相集い、組織化と自工場の設置を決定。翌28年に入善町酪農組合を結成し、ミルクプラントを据えて「入善酪農牛乳」の発売に漕ぎ着ける。

◆農協の誕生とラクノ牛乳の躍進

間もなく任意組合を改め、入善町酪農農協が成立。組合員31名・飼養頭数は50頭ほど。生乳の半分は自家処理し飲用牛乳として直売、残余を他社へ出荷の体制だった。

昭和35年には小中学校への学乳供給が正式にスタートし、年間10万本(のち最盛期には同100万本超)の固定枠を獲得。「ラクノ」銘の採用はこの頃のことらしい。さらに40年代に入って県生協連合会との契約が成り、こちらもかなりの伸びを示した。

◆全酪富山乳業協同の設立と終焉

隣接市域への進出を果たし、地元ではシェア8割を誇ったラクノ牛乳だが、市場競争激化と時代の波には抗えず、単体存立が危うくなっていく。

昭和60年に至り、入善酪農は全酪連(ゼンラク牛乳)との合資で全酪富山乳業協同(株)を設立。ゼンラクの魚津工場は閉鎖、機械設備を入善町の組合工場へ移設する2工場の統合で、経営規模拡大・生き残りを図った。

既に高い知名度を確立していた「ラクノ」銘は、新会社へ処理委託の形で存続。組合はゼンラク牛乳とラクノ牛乳の併売を行った。以降、長らくの稼働も平成14年、乳業施設再編合理化で工場閉鎖・全酪富山乳業協同は解散の運びとなり、一時代を終えている。

― 関連情報 ―
入善酪農農協・全酪富山乳業協同の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
広報入善バックナンバー (富山県入善町役場)
ラクノ牛乳 (シテントル山賀の牛乳ブログ)
ラクノ3.6牛乳の紙パック (缶コーヒーとコレクション@twitter)


設立> 昭和28年、入善町酪農組合として ※資料によっては29年とも
昭30> 入善町酪農農業協同組合に改組
昭31> 入善町酪農協・大田元長/富山県下新川郡入善町入膳6253-1
昭34〜48> 入善町酪農協/同上
昭50〜59> 入善町酪農農協/富山県下新川郡入善町入膳4501-1
昭60> 全酪連との合資で全酪富山乳業協同(株)を設立
昭60〜平13> 全酪富山乳業協同(株)/同上
平14> 乳業施設再編合理化により工場閉鎖
電話帳掲載> 同上 ※平成12年時点
                   入善町酪農農業協同組合/富山県下新川郡入善町椚山新375
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は令和3年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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