北日本牛乳北日本牛乳

(記事下段)

北日本牛乳

北日本乳業(株)
富山県高岡市二塚2058
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代初期〜中期

戦後10年ほど商われたらしい、高岡のローカル銘柄。いわゆる農民資本で成立した地場企業だが、市場競争の激化に鑑み大手への傘下入りを決断。昭和37年に明治乳業の系列会社(分工場)に転じたのち、約20年間の運用を経て廃業している。

◆北日本酪農協同として発足

昭和24年、県下農系団体の合資により、北日本酪農協同(株)(のち北日本乳業)が発足。当初製造は練乳・バターのみ、「風車ミルク」「ラッパミルク」の商標を掲げた。掲載瓶のトレードマーク(×印)は、風車を模した構えかも知れない。

歴代の社長・取締役には、地元の政治家や農協の要職に就く人物が多く見える。戦前来の畜業・関係組合の営みが設立背景にあったと思うが、仔細は不明。昭和30年前後に飲用牛乳の展開に臨み、掲載の「北日本牛乳」売り出しに至る。

◆富山明治牛乳への転換と廃止

昭和37年、明治乳業の富山進出に応じて業務提携を結び、富山明治牛乳(株)に衣替え。以降、受託加工中心の業態に変わって、独自銘柄は消滅。

明治はこれに前後して、新潟工場と石川工場の新設(整備統合)、富山明治と同様の系列会社である福井明治牛乳の立ち上げを行い、北陸四県における生産体制を確立した。

北日本乳業〜富山明治牛乳について、現役時代の情報は少なく、キャップコレクター諸氏の捕捉も稀。昭和56年に会社は解散、工場は閉鎖された。かつての処理量は県下中堅規模で推移。市内では高岡牛乳のほうが常に優勢だったようである。


設立> 昭和24年、北日本酪農協同(株)として
昭26> 北日本酪農協同(株)・黒田松次/富山県高岡市二塚2058
昭28> 北日本乳業(株)・森丘正唯/同上
昭30> 同・藤野善三郎/同上 ※ここまでは練乳・バター工場として
昭31〜40> 北日本乳業(株)/同上 ※昭和37年に富山明治牛乳が発足している
昭41〜53> 富山明治牛乳(株)/同上
電話帳掲載> 同上 ※昭和45年当時
解散・廃業> 昭和56年
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、[全国工場通覧]・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成29年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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