温根湯牛乳温根湯牛乳

(記事下段)

温根湯牛乳

中沢沢吉(中沢ミルクプラント)⇒オー・エヌ観光(株)
北海道常呂郡留辺蘂町字温根湯94
山村硝子製・180cc側面陽刻
昭和50年代後期〜平成5年頃

TwitterFacebookこの牛乳屋さんの記事を共有

戦後およそ50年に渡って商われた、道東のローカル銘柄。一帯は「温根湯(おんねゆ)」(アイヌ語で“大きなお湯”の意)の名で知られる、古い温泉街(おんねゆ温泉郷)だ。

場所柄もちろんのこと、土産物店や公衆浴場(いづほ公衆温泉)での小売りがあった。往時に訪問した旅客には、湯上がりの一本として記憶に留める方も多いのではと思う。かつては学校給食向けの納入(明治乳業製品の併売)もされていたようだ。

◆オー・エヌ観光株式会社・中沢ミルクプラント

創業後、長らくの個人経営を経て昭和60年、周辺にホテルやレストランを営むご家族?の会社、オー・エヌ(ON)観光(株)が発足、その傘下に入る形で法人化されている。

観光会社名義の牛乳工場は、全国に数例しかなく珍しい展開。とにかくも「温根湯牛乳」は引き続き商われた。時は流れて平成12年、乳業施設再編合理化に応じて製造を中止。他社に委託はせず、ブランドは消滅に至った。

オー・エヌ観光が運営した飲食店のひとつ、レストハウス温根湯は、旧ミルクプラントのすぐそば。肉料理メインだが、国道沿いの古びた大看板に「生牛乳<完全殺菌>」の宣伝文句が残る。昔は工場直送の新鮮なミルクが飲めたのだろう。

◆留辺蘂(るべしべ)の酪農黎明期

嚆矢は大正6年、榊原房吉氏による榊原牧場の開設で、乳牛6頭からスタート。後続も現れたが、放牧地に乏しく飼養技術は未熟、附近に処理工場もないため普及は遅い。牛乳は主に自家消費され、むしろ開墾用の堆肥作りがメインだった。

しかし昭和7年頃、地元の武華産業組合が、将来有望な酪農を強力に推進。札幌で大量の乳牛を買い付け農家に配分、指導・奨励を行う。

◆武華産業組合の事業展開

組合は集乳・簡易処理施設を温根湯に設け、原料乳や生クリームを北海道製酪販売組合連合会(雪印乳業)・北見工場に出荷。一応の事業が確立していく。

戦時は大幅に衰退したが、町主導の貸牛制度など各種助成の効果で、徐々に復活。一帯には複数の酪農組合が勃興する。始祖・榊原牧場は、のち鴨崎世志照氏が継承して鴨崎牧舎となり、昭和50年代まで自家処理・市乳販売を手掛けた。

― 関連情報 ―
中沢ミルクプラントの紙栓 (牛乳キャップとは) / 同・紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
温根湯牛乳トヨエース (2jim2jim@twitter)


創業> 不明ながら戦後
昭31〜59> 中沢沢吉/北海道常呂郡留辺蘂町字温根湯94
昭60> オー・エヌ観光(株)設立、傘下の中沢ミルクプラントとなる
昭60〜平04> オーエヌ観光(株)/同上
平12> 乳業施設再編合理化により工場閉鎖
平18> 留辺蘂町は周辺2町と合併し、北見市となる

電話帳掲載> オー・エヌ観光(株)/北海道北見市留辺蘂町温根湯温泉96-31
自家処理撤退・独自銘柄廃止> 平成12年
公式サイト> http://www.on-k.com/ (ON観光) ※運用中止

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成25年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業