東信ミルク (1)東信ミルク (1) 東信ミルク (2)東信ミルク (2)
東信ミルク (1)

(有)東信ミルクプラント
長野県上田市神科大字金井120
徳永硝子S29年製・180cc底面陰刻
昭和30年代初期
東信ミルク (2)

(有)東信ミルクプラント
長野県上田市神科大字金井120
石塚硝子製・180c.c.底面陰刻
昭和30年代初期〜中期

東信ミルク (3)東信ミルク (3) 東信ミルク (4)東信ミルク (4)
東信ミルク (3)

(有)東信ミルクプラント
長野県上田市神科大字金井120
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜40年代初期
東信ミルク (4)

(有)東信ミルクプラント
長野県上田市大字住吉646
石塚硝子製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代

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戦後およそ60年に渡って商われた、県東部のローカル乳業さん。銘の由来は信濃の東部、上田と佐久を中心に、一帯が東信地方と呼ばれることによる。低温保持殺菌(LTLT・65℃30分)を長らく手掛け、品揃えには特色があった。

販路は地元スーパー、パン屋、菓子店など。卸問屋を通じ、一部は関東にも出回った。平成26年7月頃に市乳処理より撤退、ブランドは消滅。ベンダーに転換することなく、完全廃業のご様子だ。(⇒牛乳について/グラスリーぺぱんブログ)

◆ミネラルウォーター事業への進出

平成3年、小県郡真田町(現・上田市)に猿ヶ城工場を別途開設。ここでは「川中島合戦の力水」や「信州の水」といったミネラルウォーターの生産を行い、東信ミルクプラントさんの商品ラインナップは牛乳と水の二本柱になっていく。

信州 川中島合戦の力水 (ミネラルウォーター大全)
川中島合戦の力水 (信州自慢の水と空)

かつて公式サイト上では、牛乳類を押し退ける格好で大きく宣伝されていたが、平成24年前後、住吉の牛乳工場・本社の廃業に先立って操業を中止。採水充填施設は売却され、現在はハイドリックウォーターの経営(水素水の製販)に変わっている。

◆掲載瓶・晩年のブランド展開について

掲載は草創期の流通らしき素朴なデザインの2本と、羽ばたく鳩をあしらった昭和30〜50年代の後継品。(2)番瓶の赤ちゃんは、製瓶会社/乳業資材代理店のテンプレートだろう。遠く離れた岡山の松井乳業さんも同じイラストを使っていた。

「東信ミルク」は終売して久しく、後年は「信州信濃の3.6牛乳」「北軽井沢3.7牛乳」「信州のおいしい牛乳」「長門牧場低温殺菌牛乳」ほか、紙パックが中心。最後まで大瓶・紙栓仕様のアイテムも存在したが、取り扱い量は少なかったようだ。

紙パックは沖縄以外だと稀な、容量946ml(クオーターガロン)での出荷がメイン。かつて工場の立ち上げ時に、米国製の殺菌・充填機一式を導入した名残らしい。(⇒30年ほど前、毎日のように愛飲していた…/twitter@mamachari3_Jpn)

― 参考情報 ―
東信ミルクプラントの紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙栓 (牛乳キャップとは) / 同・紙パック製品 (愛しの牛乳パック)
北軽井沢アウトサイダー酪農 (ミルクマーケット・ジャパン)
週刊CAMBIO NO.955 (オーガニックマーケットCAMBIO)


設立> 昭和31年、(有)東信ミルクプラントとして ※個人起業は数年遡る?
昭31> 東信ミルクプラント・徳田登/長野県小県郡神科村大字上田金井130
昭32> 神科村は上田市に編入される
昭34〜39> 東信ミルクプラント/長野県上田市神科120
昭40〜44> (有)東信ミルクプラント/長野県上田市神科大字金井120
昭46〜平13> 同上/長野県上田市大字住吉646 ※平成3年に猿ヶ城工場を開設
電話帳掲載> (有)東信ミルクプラント/長野県上田市住吉646-1 ※平成24年時点
                    同 猿ヶ城工場/長野県上田市真田町傍陽入軽井沢8850 ※平成19年時点
市乳事業撤退> 平成26年
公式サイト> http://www2.ocn.ne.jp/~toushin/ ※消滅

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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