飛騨牛乳 (1)ひだ牛乳 飛騨牛乳飛騨牛乳
ひだ牛乳

飛騨酪農農業協同組合
岐阜県高山市岡本町4-326
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和40〜43年頃
飛騨牛乳

飛騨酪農農業協同組合
岐阜県高山市岡本町4-326
石塚硝子製・正200cc側面陽刻
昭和50年代〜平成5年頃

お膝元の東海地方はもちろん、関西・北陸エリアにも販路を築く、現役の専門農協さん。県下諸組合の統合過程で、神岡酪農(神岡牛乳)と益田酪農(下呂牛乳)が合流。平成21年、高山市新宮町に新本社・新工場を落成。さらなる事業の飛躍を期す。

◆酪農創成期をリードした飛騨牛乳株式会社

飛騨の乳牛飼育は周辺郡部に先駆けて始まり、搾乳・販売の企業化も早い。戦前は「盛乳舎」を起源とする飛騨牛乳(株)を筆頭に、地元各社の市場競争が激しかった。往時の勃興の歴史は、[飛騨酪農史](昭和49年・飛騨酪農組合刊)に詳しい。

明治15年 高山町の永田吉右衛門・森七左衛門氏の両名が盛乳舎を興す。
同20年 森氏が独立して大名田村に養牛舎を立ち上げ。
同30年 古川町の牧田源兵衛氏が丹生川村に牧成舎を創始。
同40年 七日町の日比野甚右衛門氏が日進舎を創業。
同41年 日進舎は養牛舎と合併、同時に宇野増次郎氏が加わり合名会社日盛舎となる。
大正5年 日盛舎は経営不振に陥り、日盛舎と養乳舎が合併、
船坂半右衛門氏らの発起で飛騨牛乳株式会社として新規発足。
大正期 小峠長助氏が七日町で小峠滋養舎を始める。
昭和6年 小峠滋養舎は山田健次郎氏の経営となり、山田滋養舎へ改称。

当時の主な牛乳需要は乳幼児・病人向けの栄養食で薬餌に近く、販売先は限られた。それでも酪農の営みに将来性を感じた人々が、乳牛導入に邁進した様子をうかがえる。

◆飛騨酪農の萌芽・農民による牛乳販売

不況のどん底にあえぐ昭和初期の農村。牛乳の生産販売を一手に行い、現金収入の途を開いて農家経営の柱となす…昭和4年、高山町の牛飼いを中心に三福寺牛乳販売購買利用組合が誕生、これが後の飛騨酪農・飛騨牛乳の原点だった。

この頃は農乳(農家が搾乳・処理した牛乳)を直接消費者へ販売した前例なく、県下初の試み。営業許可に必要な手続きは煩雑極まり、無数の書類を提出してなお進まない。なんと裏では競合を嫌った飛騨牛乳(株)が、妨害工作を行っていた。

◆各社乱売合戦で窮地に陥る

数か月後やっと許可が下り、待望の売り出し。組合は他の業者が一合10銭のところ、半額の5銭で勝負、大評判を呼ぶ。余剰乳で「アルプスバター」を作り、残った脱脂乳で「カルメス」(乳酸飲料)を製造。菓子店と提携した牛乳パンなど、扱い品目も増やしていく。

しかし飛騨牛乳(株)ほか、業者側も反撃。牛乳はあっという間に一合3銭の乱売合戦で利益率はガタ落ち。その他乳製品は宣伝・販促が及ばず売れ行き伸び悩み、不良在庫を抱える始末。農民主体・手探りの市乳事業は困難を極めた。

全国的な不況下での値引き競争、過剰な景品サービス、不良顧客による代金不払い踏み倒し。全員共倒れの危機感が広がる。昭和7年、組合はライバル関係にあった飛騨牛乳(株)、山田滋養舎と手を組み、斐太共同牛乳販売組合の発足に至った。

◆戦前の集合離散・酪農は農民主導へ

三者は利益配分を巡って一時分裂も、間もなく内務省・牛乳営業取締規則が改正され、莫大な設備投資を要するミルクプラント建造が急務となって、再び和解。昭和11年、合名会社斐太中央ミルクプラントを設立。翌12年頃に古川の牧成舎も加盟した。

これにて商圏の主要メーカーは休戦状態、ほっと一安心…は束の間、今度は国が本当の戦争に突入してしまう。昭和18年、飼料・人手不足で原乳確保に行き詰った飛騨牛乳(株)は、「このままなら倒産必至、株主配当できるうちに」と解散。

堅実経営で法人化していた合資会社山田滋養舎も、実務を担う中心人物を召集で失い、資産を切り売りしながら昭和21年に解散。飛騨の牛乳屋は戦禍のもと淘汰が進んだ。

◆戦後の苦境・近代産業への脱皮

この間、組織を飛騨牛乳販売購買利用組合に変え、踏ん張り抜いた三福寺メンバーは、戦争の長いトンネルを抜けた昭和22年、飛騨酪農農業協同組合を立ち上げる。

戦後も苦境続き、解散寸前。生きもの商売だから一旦休業は難しい。高山市内と周辺には、飛騨牛乳の栄養に頼る千数百人の病人・乳幼児がいて、供給を絶やせば当地に育んだ信頼を裏切ることにもなる。組合は行政の協力を得て、何とか運営を継続。

やがて人心落ち着き、経済活動は復調。パン食の普及で牛乳需要が一挙拡大。昭和30年代は乳牛飼養・生産高急増し、躍進の機を迎える。32年、学校給食に参入。40年、岡本町に東海随一のオートメーション工場を新設、以降長らくの拠点となった。

◆ロゴマーク・掲載瓶について

現行商標「組合マーク」は昭和40年、公募で決定。飛騨の「ひ」の字を、牛の顔に模した形だ。「飛騨牛乳」の呼称は、特許庁の地域ブランド(地域団体商標)認定も受けている。

掲載は200cc増量前後の2世代。(1)番瓶の「UHTH」はUltra High Temperature Heating(超高温殺菌)の意か。側面に「びんは非売品ですから必ずお返し下さいませ」、(2)番瓶にも「空ビンは非売品ですからどうかお返し下さい」と、念入りな注記が見える。

平成22年、プラ栓+シュリンク包装の軽量新瓶を採用(⇒製品紹介)。デザインを簡素化の結果、要返却を喚起する文言はついに消えた。販路拡張にともない、瓶製品もワンウェイ容器として扱う小売店が多くなったはずで、実態に即した変更だろう。

― 関連情報 ―
飛騨酪農農協の紙栓(1) / 同・(2) (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙栓 (牛乳キャップとは) / 岐阜の牛乳のふた (職人と達人)
同・紙パック製品 (愛しの牛乳パック) / 飛騨高原牛乳 200mlパック (牛乳トラベラー)
同・宅配受箱(1) / 同・(2) / 同・(3) (古今東西散歩/むにゅ’s のぉと/まるかど日記)
飛騨牛乳 価格競争を迎え撃つ (岐阜新聞Web) ※IAキャッシュ


設立> 昭和4年、三福寺牛乳販売購買利用組合として
昭07> 斐太共同牛乳販売組合を設立 ※間もなく解散
昭11> (名)斐太中央ミルクプラントを設立
昭16> (名)斐太中央ミルクプラント/岐阜県高山市大字七日町802
昭18> 飛騨牛乳販売購買利用組合へ改称
昭22> 飛騨酪農農業協同組合へ改組・改称

昭31> 飛騨酪農農協・蒲彌三吉/岐阜県高山市神田町1-26
昭34〜39> 飛騨酪農農業協同組合/同上
昭40> 岡本町に工場新設・移転
昭40〜44> 同上/岐阜県高山市岡本町
昭46〜平13> 同上/岐阜県高山市岡本町4-326 ※時期により323番地とも
平21> 新宮町に工場新設・移転
電話帳掲載> 同上/岐阜県高山市新宮町3369
公式サイト> http://www.hida.or.jp/

処理業者名と所在地は、[全国工場通覧]・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成25年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業