一宮牛乳 (1)一宮牛乳 (1) 一宮牛乳 (2)一宮牛乳 (2)
一宮牛乳 (1)

一宮牛乳(株)
愛知県一宮市宮西通5-13
石塚硝子製・市乳180c.c.底面陰刻
昭和20年代後期〜30年代初期
一宮牛乳 (2)

一宮牛乳(株)
愛知県一宮市宮西通5-13
島田硝子製造所製・市乳180c.c.底面陰刻
昭和20年代後期〜30年代初期

TwitterFacebookこの牛乳屋さんの記事を共有

界隈随一の老舗、旧市内に唯一のメーカー。平成初年に自家処理より撤退、ブランドは消滅。今は明治牛乳の販売店さんとなっている。掲載は恐らく初代〜2代目の印刷瓶。黄色刷りが珍しい。球状の屋号は一宮市章の翻案、モチーフは真清田神社の五鈴鏡だ。

◆市内唯一の乳牛飼育・搾乳業者さん

沿革不詳ながら、町村合併以前の旧一宮市では、昭和初期以降、一宮牛乳さんが唯一の牛飼い、ただひとつのミルクプラントだったらしい。昭和9年の乳業名簿上、一宮市にはその経営者である渡邊利一郎氏のお名前だけが挙がる。

[一宮市勢要覧 昭和11年版]は昭和5〜9年の統計に触れ、搾乳場一軒のみ、乳牛飼養20頭と記録。[一宮市勢一班 昭和14年版]も、乳牛飼養戸数一軒・30頭の数字を示す。

年間搾乳高は昭和5年で4万リットル・価額(売上規模)7,700円。同9年に5万4千リットル・10,500円、14年には12,000円と伸びていく。現在の感覚でどれ位の業容か、比較が難しい。同じ頃、市内に数百羽いた鶏に匹敵する額面ではある。

◆戦後の酪農振興・明治牛乳に鞍替え

昭和20年代中期以降、農村部の酪農振興で状況は劇的に変化。概略は尾西酪農の項に譲るが、[市勢概要 1954(昭和29年)]では飼養戸数201軒・乳牛288頭に急増。牛乳屋さんや乳酸菌飲料製造業者の新規勃興もうかがえる。

当地方は繊維産業で栄えたエリア。紡績/織物工場が多く労働人口に富み、学校給食ほか集団飲用も旺盛。一宮牛乳も躍進したと思うが、時は平成に至り、ベンダーへ転換。

かつて運営の公式サイトは「明治牛乳一宮牛乳宅配センター」としての作り。昔日の自社銘柄について、特に言及はなかった。宅配業務の宣伝や、牛乳・健康に纏わるコラムが載っていたものの、更新は絶えて久しく、ついに閉鎖されている。

― 関連情報 ―
一宮牛乳の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ) / 同・紙栓 (牛乳キャップとは)


創業> 不明
昭09> 渡邊利一郎/愛知県一宮市宮裏
昭28> 渡辺ちちや・渡辺利一郎/愛知県一宮市宮西通5-13
昭29> 渡辺牧場(渡辺牛乳店)改め、一宮牛乳(株)として法人化
昭31> 一宮牛乳(株)・渡辺幹夫/同上
昭34〜56> 一宮牛乳(株)/同上
昭58〜63> 同上/愛知県一宮市文京1-2-8
電話帳掲載> 「一宮牛乳(有)」「明治牛乳一宮牛乳宅配センター」
                   /愛知県一宮市文京1-2-8
自社銘柄廃止> 平成元年前後
公式サイト> http://www2t.biglobe.ne.jp/~iti-gyuu/ ※閉鎖

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・[一宮商工名鑑 昭和28年版]・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業