戦後、東村山郡明治村(現・山形市)に発足、県下有数の規模を誇った元メーカーさん。業績悪化と設備老朽化のため、令和元年に製造より撤退、工場を閉鎖。以降は他社に処理委託のうえ自社ブランドを商うベンダーに転換されたらしい。
・富士乳業(天童市)6月末で操業停止 (やまがたコミュニティ新聞)
・MMJ傘下の富士乳業が6月末で工場閉鎖へ (酪農乳業速報)
◆始まりは東海林さんちの富士牛乳
草創期は東海林長蔵氏が率いる「明治村酪農同志会」、または「東海林牛乳店(富士牛乳店)」の名乗りで、個人経営のミルクプラントだった。
昭和42年、富士乳業(株)を設立、法人化。45年に現在地の天童へ移転、処理工場を刷新。およそ70年に渡って「富士牛乳」ほか複数銘柄を商う。かつて山形における牛乳製造の約3割を担い、商品は地元のみならず、過半を県外販路へ出荷した。
近年の主力アイテムは東北酪農牛乳、天童牛乳、山形酪農牛乳、別海のおいしい牛乳など。平成12年に明治乳業山形工場(天童市北久野本)が閉鎖してからは市内唯一の牛乳工場であり、業界慣行に風穴を開けた会社として存在感を放っていた(後述)。
◆原料乳の越境仕入れで脚光を浴びる
平成24年、売上低迷に鑑みコスト削減を志向。農協を離脱した指定団体外(アウトサイダー)の酪農家集団・生乳卸である(株)MMJを通じ、一部北海道産の生乳調達に踏み切る。この動きを流通自由化の文脈で新聞・テレビが紹介し大きな話題となった。
圏内メーカーへ独占的な供給体制を敷く東北生乳販売農協連合会は、富士乳業に対し契約・取引上の圧力を掛けたとも報じられ、界隈に波紋を呼ぶ。平成27年頃に創始・東海林家は経営の一線から退き、MMJの関係者さんが社長に就かれていた。
◆掲載瓶・ビン製品などについて
赤・青・緑、印刷ビンの基本色が世代を越えて揃い踏み。会社設立直後の一合赤瓶⇒要冷蔵の標示を加えた青瓶⇒200cc移行後の緑瓶…白牛乳瓶装の変遷と思うが、青瓶は200cc時代に並行利用の加工乳向けかも知れない。
「牛乳キャップとは」さんの記事によれば、昭和56年に瓶詰め廃止・完全ワンウェイ化。したがって要冷蔵に10℃以下を併記のビンは無く、(3)番あたりを最終世代と見込む。現行ラインナップ仔細は不詳も全て紙パック。レトロな富士山ロゴは健在だろうか。
― 参考情報 ―
富士乳業の紙栓 (牛乳キャップとは) / 同・紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙パック製品 (愛しの牛乳パック) / FUJI3.7牛乳 200mlパック (牛乳トラベラー)
富士乳業株式会社 (ぐっじょぶYAMAGATA) ※IAキャッシュ
脱農協、北の国から 本州へ安値で「越境」 (日経新聞)