どことなく異国情緒の漂う、会津地方中部のローカル銘柄。処理施設の発祥は昭和22年、大沼農学校(現・福島県立大沼高校)での製造実習開始による。
昭和32年頃、地元の酪農組合または個人業者が、高校の処理施設を借り受け、掲載のクイーンミルクプラントとして営業を開始。
同42年頃には学校敷地内に工場を移して独立。さらに約15年に渡る稼働を経て、廃止されたものと見られる(別地域の事例に基づく憶測)。
学校側は搾乳実習を通じて一部原料を供給の傍ら、校内消費する自らの高校牛乳ブランドも手掛けたはずだが、仔細は判然としない。大沼高校は昭和48年、農業/畜産科を普通科に転科。のち牛舎など関連施設は全部撤去されている。
◆乳牛導入・牛乳生産のはじまり
高校の創設は大正期の「大沼実業補習学校」まで遡る。その名が示す通り、往時の主たる目的は職業教育。農業の担い手・後継者育成の場という性質が色濃い。
町域には肉用と材木運搬の役牛が若干いた位で、戦前の牛飼いは低調だった。しかし戦後、酪農振興・有畜農業の気運高まり、県所管となった大沼農学校にも乳牛が入ったらしい。昭和22年には地元有志の寄付を得て、「牛乳加工室」が完成する。
23年、普通科・農業科・女子別科(のち家庭科)を構え、今に続く県立大沼高校が発足。乳牛飼育を維持しながら、34年、正式に畜産科を増設した。
◆「高校牛乳」花盛りだった福島県
昭和30年代、県人口の過半は農家であり、農事が県経済の盛衰に直結。農業高校の存在意義も極めて高かった。行政は畜産・園芸に重点を置き、強化費を投入。農業科を畜産科に変えた学校も多い。牛舎・牛乳処理室の建築助成もあった。
結果、福島には本項の大沼高校に加え、福島農蚕高(福島市)、岩瀬農高(須賀川市)、東白川農商高(東白川郡)、小野高校(田村郡)、耶麻農高(耶麻郡)、喜多方高(喜多方市)、磐城農高(勿来市)ほか、高校実習生産の銘が多数勃興した。
この頃は全国に同様の動きが見られ、農高ブランドは決して稀な存在ではないが(⇒特集-学校給食専用瓶/農業高校の牛乳)、福島県は頭ひとつ抜けた感じだ。
◆農業高校の間借りミルクプラント?
全国的にも珍しい業態で、はっきりしたことは良く分からない。唯一明瞭に確認できた記録は鹿児島の事例で、志布志酪農協が昭和30〜33年の間、西志布志高校の実習用処理施設を利用し、組合事務所も高校の酪農室に置いていた…という過去史のひとコマだ。
由来不詳「クイーン」の名乗りも、いわゆる高校牛乳とは考えにくい要素。大抵は学内販売に限られるため、校名=ブランド名、または「高校牛乳」「畜産牛乳」といった呼称を採用する。
古い牛乳工場名簿を辿ると、昭和43年に住所が変わっている(法憧寺⇒鹿島)。鹿島は高校に隣接する同一敷地内。初めは便宜的に高校の住所(法憧寺)を申告、のち正確な施設所在(鹿島)を届け出た可能性もある。現在跡地には釣具屋さんが建つ。 |
掲載(1)番は白牛乳、(2)番が色物(コーヒー・フルーツ)専用瓶だろうと思うが、ラインナップは不詳。やたら線の細い、ラフスケッチの王冠マークは絶妙な味だ。類似の銘としては大阪・中西乳業さんの王様牛乳やクインミルクなどがあった。
― 参考情報 ―
教育年報 1961年(S36年度)-農業高校の体質改善
教育福島 昭和50年10月号-学校紹介
(ふくしま教育情報データベース)