大正元年の創業以来、およそ60年ほど商われた、県西部のローカルブランド。昭和44年前後に自家処理より撤退され、独自の銘は消滅。以降は他社ブランド(恐らく酪王牛乳)を扱う販売店さんとなって平成期まで存続も、現在は完全廃業されている。
初代・樋口元吉氏の生家は地元の造り酒屋で、恵まれた家柄だったようだ。商家を営む叔父のもとに養子へ出されると、郡役所の雇人を経て田島銀行に入り、のちには支配人に抜擢され、35年間勤め上げた。俳人・書家・文芸人との交流も多かったと伝わる。
先進事業への関心と資力を背景に、大正元年、自宅の裏手に牧場「済生舎」(資料により済生会、済世舎とも)を開設。界隈ではまだ珍しかった洋種牛を入れ、本格的な酪農経営・搾乳販売に乗り出す。長らく町の牛乳屋さんとして親しまれた。