日南地区で搾乳販売を営む牛乳店主さんらと、附近の酪農家有志が相集い、昭和30年に発足した専門農協さん。行政支援(新農村建設事業)を受けて新規ミルクプラントを落成、組合として処理直売を開始。県下中堅規模のメーカーだった。
当初は「日南牛乳」、昭和40年代中期からは(2)番瓶の通り「日酪牛乳」の銘を採用。キャップコレクター諸氏のサイトを確認すると、「日南ラクトコーヒー」や「日南フルーツ」といった具合に、傍系の色物はずっと日南の略称を継続していたようだ。
◆半世紀に渡る市乳事業の終焉
各地の勃興例に漏れず、販路開拓は困難を極め、資金繰りは厳しく、夏場の生乳不足・冬場の余剰乳ほか、問題が山積。しかし間もなく誕生した広域農系団体、霧島集約酪連(酪連牛乳)との協調で、次第に運営状況は改善していったという。
時代は過ぎて平成8年、牛乳類の需要減退に応じ、アイスクリーム・ヨーグルトの製販に着手も、遅きに失したか。平成17年、約一億円の負債を抱えて経営破綻・廃業(翌18年に組合は解散)。ビン詰めはラインナップを減じつつ、晩年まで存続したようだ。
― 謝辞 ―
農協の経営破綻について、kazagasira様よりご教授頂きました。
― 参考情報 ―
日南市酪農の紙栓 (牛乳キャップとは) / 同・紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)