新宮港を目前に臨む海の町に、大正以来およそ90年間に渡って商われた、県南の農系銘柄。市域と周辺の宅配・小売・学校給食を通じて長く親しまれたが、平成23年の台風水害によって大打撃を被り、事業継続を断念、廃業・解散に至っている。
◆三輪崎牛乳販売組合の設立背景
明治末期、生産性に劣る三輪崎の農地を改革すべく、町長肝煎りの耕地整理が断行された。確かに立派な田畑が仕上がったものの、農民はその整備費用返済に四苦八苦。次に招聘されてきた町長が、乳牛飼育で収支改善を図ってはどうかと提案する。
そこで有志一同、県下産業組合の視察・研究を行い、大正10年、三輪崎牛乳販売組合を結成。15頭の仔牛と、搾乳・処理場を何とか用意した。ところが競合を嫌った既存の牛乳屋が裏で妨害工作を仕掛け、1年たっても営業許可が下りなかったという。
◆ようやくの売り出しも苦難の連続
育った仔牛も乳を出すようになり、組合は大慌て。県当局に申し出、ようやく大正12年に許可を得る。しかし当時需要は育児か病人用、極めて限定的。セールス経験にも乏しいなか、新宮の菅谷牧場、天満の加味根牧場ほか、同業者間の廉売合戦に巻き込まれた。
各エリアに販売人を置き、出張所を設けるなど販路開拓に注力も、戦時に至り景気悪化と飼料欠乏でどうにもならず、メンバー脱退が相次ぐ。組合運営は戦後まで難局が続いた。
◆戦後の業容拡大と晩年の衰退
昭和47年時点の組合員25名、飼養頭数200頭、この辺りが最盛期だろうか。晩年は3名・17頭と激減、学乳を中心に200cc換算で日配4,000本〜ほどの規模。宅配・小売卸し先は減少の一途で経営状態は芳しくなかったところ、大型台風が直撃した。
平成23年台風第12号は紀伊半島に大水害をもたらす。組合の牛舎・搾乳設備は土砂に埋もれ、壊滅。再建費用の捻出に目途が立たなかった。
のち約2か月間は古座川町の牧場より原料乳を調達。どうにか製造を続行したものの、中長期的にはその安定確保も難しく、止むなく廃業、「三輪崎牛乳」の歴史は幕を閉じた。ミルクプラント解体後の跡地は現在、新宮市役所・三輪崎支所となっている。
― 謝辞 ―
掲載の瓶はflounder様よりご提供頂きました。
― 関連情報 ―
三輪崎酪農組合の紙栓
(牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
三輪崎牛乳 200mlビン / 地元の牛乳 200mlパック (牛乳トラベラー)
平成23年台風第12号による大雨(紀伊半島大水害)
(津地方気象台)