浦田酪農 (1)浦田酪農 (1) 浦田酪農 (2)浦田酪農 (2)
浦田酪農 (1)

浦田酪農場
奈良県宇陀郡榛原町福西205
石塚硝子製・180cc側面陽刻
昭和40年代初期
浦田酪農 (2)

浦田酪農場
奈良県宇陀郡榛原町福西205
石塚硝子製・180cc側面陽刻
昭和40年代中期

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郡下における乳牛飼養の先覚、戦後間もなく処理販売を始めた、往年のミルクプラント。一帯の畜産普及を牽引しながら約25年間に渡って商われ、昭和46年に自家処理を止めて以降も、当地に牧舎経営(明治乳業へ生乳出荷)が続いている。

掲載は昭和40年代に流通の二世代。“伊那佐局一番”の標示が目を引く。地域の電話加入申請・第一号だろう。後継は市外局番付きで2001番になった。トレードマークは四つ葉のクローバー。中心に所在の榛原(はいばら)・宇陀(うだ)の頭文字(HU)をあしらう。

◆浦田善之氏による創業

氏は戦前より農業に従事。町で山林原野の開拓に挑み、北海道・東北の入植者を招致して、「新しい村」「ユートピア」の建設に情熱を注ぐ。しかし時局に恵まれず、度重なる兵役召集と捕虜生活、農地解放で、復員後はゼロからの再出発だった。

帰郷した浦田氏は、再び開拓農事に着手。キリスト教社会運動家・賀川豊彦氏の提唱する立体農業理論の実践、教職者/無教会派クリスチャン・小谷純一氏の愛農会への参画を通じ、多角的な農産加工、「乳蜜天國」の実現を目標と定める。

◆ミルクプラントの開設・酪農の発展

営農基盤を酪農に求め、昭和21年に乳牛を導入。翌年までに簡易処理場を設け、早々と市乳販売へ踏み切った。家族経営の小さなミルクプラントで、注文に応じ近隣町村へ配達のほか、余乳を用いたバター作りも手掛けたという。

また、ささやかながら養蜂も始め、浦田酪農場はまさしく「豊かな乳と蜜の流れる楽園」を地で行く所となる。伊那佐地区では氏の試みを契機に乳牛が普及・浸透した。

結果、昭和28年には宇陀郡伊那佐酪農組合が発足。中和酪農農業協同組合へ団体加入し、同・伊那佐支部として本格的に活動を開始。33年に至って、酪農組合は自ら「榛原集乳処理場」を置き、「東和牛乳」の製造直売にも乗り出している。

◆スイスに咲く染井吉野

浦田善之氏は昭和50年、スイスの首都・ベルン市へ100本のソメイヨシノを寄贈。同市内「ローゼンガルテン(バラ公園)」に植樹され、今もその半分程が根付き、4月に満開の桜を楽しめる。

ベルン・バラ公園のソメイヨシノ 若木が語り継ぐ酪農交流の歴史 (スイス公共放送協会)
ベルン、桜が開花しました〜 (FUNSWISS News)

これは昭和30年代に、スイスのキリスト教団体との交流や、山岳酪農の本場である同国各地の農家に逗留、教導(愛農会の実習制度)にあずかった浦田氏の返礼らしい。

現地には往時の寄贈を記念して、氏の名前や住所を刻んだ英文/和文のプレートが掲示されている。平成31年には、その縁で市と友好関係を結んだ奈良県が、追加の植樹支援も行った。

浦田氏はスイス農民の勤勉さに感じ入り、崇敬の念を自らの生産物に反映させたかったのか、一時期はスイス国旗の紅白十字をマークに用いた「アルペン牛乳」というブランディングを展開されたようだ。(⇒浦田酪農場〜昔、奈良県にあった牛乳屋さんです/なおのblog)

― 謝辞 ―
浦田酪農さん処理工場の創廃年・現況につき、なお様よりご教授頂きました。

― 関連情報 ―
奈良県の牛乳処理業者の調査(1) / 奈良県の牛乳キャップGETです (なおのブログ)
浦田酪農場の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
スイスの農家に住み込んで-浦田善之 (農林業問題研究 3巻3号)
グリンデルワルト編(28)ベルン (散歩の変人) / ベルンでお花見&ナンパ (Hallo Bern)
初期大和榛原伝道の略録 (日本基督教団 大和榛原教会)


創業> 昭和21年 ※市乳事業の開始は翌22年頃
昭31> 浦田牛乳・浦田善之/奈良県宇陀郡榛原町福西
昭34〜46> 浦田酪農場/奈良県宇陀郡榛原町福西205
※昭和46年に製造中止も、工場名簿は地元保健所の許認可ベースのため、以降数年掲載が残る
昭47〜50> 浦田酪農(浦田牧場)/同上
平18> 榛原町は近隣町村と合併し、宇陀市が発足
電話帳掲載> 同上/奈良県宇陀市榛原区福西205 ※平成19年時点
市乳事業撤退> 昭和46年
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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