光徳牧場光徳牧場

(記事下段)

光徳牧場

光徳牧場(吉田牛乳店)⇒(有)光徳牧場
栃木県日光市中宮祠2452
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和40〜50年代

奥日光に約120年。本邦屈指の歴史を誇る、著名な観光牧場。初代・吉田徳三郎氏が明治30年に入植・開墾。「日光」と「徳三郎」から一字ずつ取った「光徳(牧場)」の屋号は、一帯を示す地名にもなった。(⇒周辺観光/中禅寺観光センター)

昭和50年代までミルクプラントを併設。その後、殺菌・瓶詰め工程は関東牛乳へ委託。平成16年、同社廃業により、今は栃木乳業が製品化を請け負う。

かつての自家処理はノンホモ・パスチャライズで、「瓶の上部に脂肪分が固まっていた」との回想も複数見つかる。当時は牛乳を買うと、飲み易いようにクリームライン撹拌用の割り箸が付いてきたらしい。(⇒大真名子山/熟年夫婦の山日記)

◆天皇陛下の牛乳嫌いを解消?

昭和27年秋、若き日の陛下(平成・今上天皇)は、学習院清明寮の仲間と光徳小屋への遠足を楽しんだ。このとき牧場に立ち寄ったエピソードを学友が著している。

光徳牧場は牛乳で有名である。新鮮で薄めてない牛乳は都会では飲めない代物である。殿下は従来、牛乳がお嫌いであった。寮でも殆ど飲むことはなかった。しかしながらここで殿下は殿下として実に偉大な発見をされたのであった。それは実に、牛乳は美味いものであるということなのであった。殿下も嬉しそうだった。―[皇太子殿下 立太子記念御写真帖](妙義出版社)より抜粋

都市部の牛乳は飼育環境・エサの違いで、脂肪分が低かったかも知れない。田舎の豊富な飼料で育つ牛、搾乳直後の濃厚な風味に舌鼓を打った、というところだろう。

◆掲載びん・現行運用について

シンプルなデザインの瓶は今もほぼ変わらず、訪問客に供されている…のだが、現在通常は紙コップで販売、観光シーズン最盛期のごく僅かな間だけ、特別に瓶装乳を作る運用へ変わったようだ。(⇒光徳牧場牛乳 180mlビン/牛乳トラベラー)

広大な放牧場に周遊路、ほど近くに光徳沼。キャンプ場・レストハウスを備え、Web上には旅記や観光案内、四季折々の写真が多数。牧場売店はアイスクリームの賞味報告が目立つ一方、「光徳牛乳」の話も時々出てくる。ビンで飲めた人は幸運だ。

― 参考情報 ―
吉田牛乳店の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
光徳牧場の初夏 (うさマロンの気ままに行こう) / 光徳牧場でのアルバイト (日光を漂ふ)
デジカメ写真館 奥日光 (TOCHIGI INFONET) / 国内の旅 夏編 102 (風と雲に誘われて)
栃木県 光徳牧場 (うしカメラ 牛写真家の牧場訪問記)


創業> 明治30年
昭09> 吉田徳三郎/栃木県上都賀郡入湯元
昭22> 吉田金八郎/栃木県上都賀郡日光町大字日光
昭23> 吉田ミヨ/栃木県上都賀郡日光町大字日光字光徳2452
昭26> 同上/栃木県上都賀郡日光町中宮祠光徳
昭29> 日光町は小来川村を編入し、日光市となる
昭31> 同上/栃木県日光市中宮祠光徳
昭34〜51> 光徳牧場・吉田忠/同上
昭52〜56> (有)光徳牧場/栃木県日光市中宮祠2452
電話帳掲載> 同上
自家処理撤退> 昭和57年前後、以降は製造委託
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・[全国工場通覧]・[食糧年鑑]・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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