保命軒牛乳保命軒牛乳

(記事下段)

保命軒牛乳

保命軒(松本牧場)
埼玉県北足立郡桶川町大字桶川23
新東洋硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代後期

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明治期の創業来、およそ60〜70年間に渡って商われた、往年のローカル銘柄。風雅な名付けも、一般には薬用酒のイメージが勝りそうだ。しかし読み方は保命酒のホウメイでなく、ホメイケンと言う。その「命」を記号化した商標は、ちょっと珍しい構え。

「松本牧場」併記の通り、経営者は松本さん。昭和9年の乳業名簿は、桶川町に松本光三氏と松本のぶ氏の2者を記載。ご夫妻の協働か、仔細は不明。昭和40年前後に自家処理より撤退され、ブランドは消滅。以降は明治牛乳の販売店さんとなった。

◆暖簾分け「松本牛乳」の派生

光三氏の甥・弥右衛門氏は、保命軒に満16年勤めて独立。昭和2年、北足立郡日進村(現・さいたま市北区東大成町)に自らの牧場・牛乳店を開業。暖簾分けで同じく保命軒牧場を名乗ったが、戦後は「松本牛乳」銘を掲げ、株式会社に発展。

松本牛乳のノベルティーコップ (牛乳グラス☆コレクション)

昭和30年代末に飲用牛乳から撤退、醗酵乳・乳酸菌飲料に特化。43年前後には製造全般を中止し、自社ブランドは消滅。のちしばらく販社営業を続行の可能性はあるものの、現在跡地は宅地と駐車場。とうの昔に廃業して久しい感じだ。

◆淡路洲本の保命軒

「○○軒」は東京を中心に、近郊の牛舎併設乳業さんが好んで使った屋号の典型。ミルクプラントに限らず、当時そういった呼称が流行していたようだ。

加えて、遠く離れた淡路島には、明治15年創業の先覚、畜産家・坂東国八氏の「保命軒」(坂東牛乳)が既にあった。牛乳を呑めば身体健康になりて四季病気なし…の趣意による命名で、明治後期の頃には神戸まで進出を果たしている。

淡路島が生んだ人物 (兵庫県立教育研修所) ※消滅
引き札のデータと解説-津名郡浦村 東淡牧場 (淡路島歴史の小径) ※IAキャッシュ

当時希少な家畜だった乳牛は、特に優良の折り紙付きであれば、遠距離の売買も当たり前だった。兵庫から埼玉への移出取引、あるいは松本氏が名声を聞き及んでお名前拝借…などの想像はできるが、本項保命軒の由来かどうかは定かでない。


■保命軒・松本光三氏 <掲載瓶>
創業> 不明ながら明治中期〜後期
昭09> 松本光三、松本のぶ/埼玉県北足立郡桶川町桶川
             ※創業を昭和10年とする資料もあり、何らかの起点と見られる
昭31> 保命軒・松本光三/埼玉県北足立郡桶川町大字桶川23
昭34〜39> 保命軒/同上
昭45> 桶川町は市制施行する
平03> 有限会社保命軒を設立

電話帳掲載> 「(有)保命軒」「明治牛乳桶川販売所」/埼玉県桶川市若宮2-4-20
自家処理撤退・独自銘柄廃止> 昭和40年前後
公式サイト> 未確認

■松本牛乳・松本弥右衛門氏 <参考>
創業> 昭和2年
昭09> 松本弥右衛門/埼玉県北足立郡日進村大成
昭15> 日進村は周辺町村と合併し、大宮市となる
昭31> 松本牛乳・松本弥右衛門/埼玉県大宮市大成町5-1281
昭34〜36> 松本牛乳(株)/同上
昭40〜42> 同上/埼玉県大宮市東大成1-409 ※発酵乳・乳酸菌飲料処理工場として
自家処理撤退・独自銘柄廃止> 昭和43年前後?
廃業> 時期不詳
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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