戦後、およそ20年ほど商われたらしい、道央(道南)のローカル銘柄。昭和40年代末には自家処理より撤退され、独自の銘は消滅。以降、恐らく平成期に至るまで、雪印牛乳の販売店さんとして存続したと思うが、沿革仔細は不明。
静内郡(現・日高郡)は古来、新冠種畜牧場に代表される馬産が中心で、酪農の萌芽は遅い。しかし昭和8年以降、乳牛導入が漸次進み、酪農組合の成立も見る。戦後は雪印・静内工場の設置や不二家乳業の進出、集約酪農地域の指定を受け、かなりの活況を呈した。
本項プラント(吉田牛乳処理場)もそうした背景に基づき、牛舎併営・自家搾乳の形態で個人創業したものか。ビンに据えたトレードマークは、ヨを4つ環状に並べ、吉田のヨシを表している。