養益舎牛乳 (1)養益舎牛乳 (1) 養益舎牛乳 (2)養益舎牛乳 (2)
養益舎牛乳 (1)

(有)養益舎
島根県松江市南田町115
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代後期〜40年代初期
養益舎牛乳 (2)

(有)養益舎
島根県松江市南田町115
東洋ガラス製・180cc側面陽刻
昭和50年代〜平成5年頃

創業は明治11年、実に130年以上の歴史を城下町に刻んだ老舗。旧松江藩士の竹内氏が、士族授産により発起。居宅の一部を牛舎に改造、搾乳販売に臨んだ。以来長らくの商いも、平成27年に廃業され、ブランドは消滅している。

◆板張り白壁の工場建屋

後世の手入れで外観・内部とも大きく変わったが、ご当地のミルクプラントは江戸末期の長屋がベース、粋な佇まいだった。歴史的な景観維持を求め、長く残すべきの声は出たものの、廃業後に取り壊し、今はマンションに建て替わっている。

養益舎牛乳 (元島根県民のお部屋) / 松江市内の古い建造物 (ドクピラ・ブログ)
塀・白壁修繕の補助制度等について (松江市政情報 平成24年度 第1回)
養益舎、前回回答の再質問など (松江市政情報 平成27年度 第4回)

◆松江の牛乳屋さん黎明期

先駆は明治6年に創業の鴻生舎さん(母衣町・原文助氏、のち武吉氏〜万次郎氏)。明治中期、松江の尋常中学校に英語教師として赴任したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)氏の居宅へも、牛乳を配達したと伝わる。

文明開化〜松江・小泉八雲と国際理解 (帝国書院)

続く2番手が養益舎さん(竹内岩次郎氏)。牧舎併設、自家搾乳にて商い(平成5年に乳牛飼養は中止)。3軒目は大正末の起業と思しき寺町の潤生舎(金山寿一郎氏)。のち西村善三氏(雜賀町)、片田高雄氏(幸町)さんらも現れた。

◆戦時統制〜戦後の概況

昭和17年、戦時統制を受けて松江市および八束郡下の同業者は併合を余儀なくされ、松江牛乳販売組合に営業を一本化。戦後の25年に至り、組合は解散。この際、旧メンバーを再編した松江乳業(のち森永傘下、平成18年閉鎖)が発足。

しかし竹内氏は個人経営に回帰、改めて養益舎の看板を掲げ、代々伝統を守り続ける。晩年は市内に操業する、唯一最後のメーカーだった。

白牛乳瓶装は、容量違いで2種あった。ひとつが市販・宅配用らしき(2)番の八角一合瓶。それとは別に、学校給食向けの?200cc赤瓶が存在(⇒県牛乳普及協会-有限会社養益舎)。販路ごとに瓶装を分けた運用は、全国に散見される。

― 参考情報 ―
養益舎さん、ありがとうございました (わかばの日記 2nd)
松江のど真ん中 小さな牛乳屋さん 養益舎 (山羊のいる風景)
養益舎牛乳180mlビン / 同・200mlビン (牛乳トラベラー)
養益舎の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ) / 養益舎 (北摂百貨天)


創業> 明治11年 ※資料によっては同18年とも
明43〜大08> 竹内岩次郎(竹内岩三郎)/島根県松江市南田町
大13〜昭11> 養益舎・竹内儀太郎/同上
昭15> 竹内一正/同上
昭17> 戦時統制により松江牛乳販売組合に集約される
昭25> 松江牛乳販売組合は解散、竹内氏は個人営業に復帰

昭31> 竹内一生・竹内正一/同上 ※竹内姓の2者掲載
昭34〜平13> (有)養益舎/島根県松江市南田町115
電話帳掲載> 「(有)養益舎」「竹内牛乳店」/同上 ※当時
廃業> 平成27年
公式サイト> http://www2.crosstalk.or.jp/milk/cyoeki.htm (参考)

処理業者名と所在地は、[島根県商工人名録]・[松江商工案内]・[松江商工人名録]・牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成20年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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