じと目の牛さんが珍妙な雰囲気を漂わせる、往年のローカル銘柄。名付けは町の景勝・道祖渓が由来と思う。平成7年前後に廃業され、ブランドは消滅。経営者の中新(なかにい)益夫氏は、かつて井原市の市会議員さんでもあったようだ。
西江原町における乳牛導入の先駆は盛兼吉太郎氏。明治20年頃、搾乳販売へ着手と伝わる。以降、戦後まで低調に推移。井原市の成立以前、昭和9年時点の後月郡下の牛乳屋は、森牧場(井原町)と高橋牧場(出部村)の2軒だけだった。
◆掲載瓶(再利用びん)について
(2)番は六角瓶と八角瓶、それぞれ複数が手元にある。いずれも東洋牛乳(西大寺市)に同じく、中古瓶の再印刷品。初期プリントの融着部分が半透明に残っており、光にかざすと「マツモト牛乳」や「マスモト牧場」銘がうっすら見て取れる。
しぶとく残存のオリジナルプリントには、写植文字の「要冷蔵」や「加工乳」の印字を確認でき、古風なデザインながら、流通時期は意外に遅いと分かった。
六角瓶は収容の便や耐久性に劣るため?今は作られていない。現行品は八角瓶のみだ。要冷蔵の標示が浸透してきた昭和43〜44年頃、製瓶メーカーがカタログから外したようで、つまり(2)番瓶は六角瓶の引退間際・最終世代だろうと想像している。
― 関連情報 ―
道祖牧場の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)