昭和元年の創業から平成初年まで、約65年間に渡り商われたローカル銘柄。県下中堅の規模、地元では学校給食でお馴染み。牛乳キャップコレクター諸氏には、妙に語呂の良い謎ジュース「土井ドリンク」の存在が良く知られる。
掲載(1)(2)番瓶は会社設立前後の連続した2世代。続く(3)番もなかなか派手な仕上がり。いずれも古い駅弁の掛け紙を彷彿とさせる、レトロデザインだ。
処理工場の住所ではなく、最寄駅(山陽本線・万富)を示す瓶は珍しい。当時の一大販路・駅売りを意識したものか、あるいはメインの営業所がそこにあったのか。賑々しい旧世代を尻目に、200cc瓶の醒めたような素っ気なさが際立つ。
◆オハヨー牛乳の販売店に転換
長らくのご商売も、平成に入って間もなく自家処理より撤退、独自銘柄は消滅。たまたま隣り合わせに工場を据えていた、乳酸菌飲料・ヨーグルト製造メーカーの丸岡乳業さん(後述)に一部施設を譲渡したようなのだが、仔細は良く分からない。
電話帳には平成10年頃まで土井乳業さんの名前が残る。後年はオハヨー牛乳の卸し・宅配を手掛ける販社に転換、のちに完全廃業されたらしい。
◆となりにあった丸岡乳業さん
設立は昭和35年。醗酵乳・乳酸菌飲料・各種原液を取り扱うメーカーで、本社・工場はかつて西大寺市にあり、和気郡備前町にも分工場?を構え、支店/営業所は岡山市内を始め大阪・名古屋・東京・札幌まで伸びていた。
社長は西脇紀巳男(紀已雄)氏。社名「丸岡」の由来は、香川と岡山に製造拠点があった同業の丸岡物産(株)に関係するようだ。丸岡乳業の設立は丸岡物産が大洋香料に買収された年と同じで、そのとき一部門が独立したのかも知れない。
・ド忘れ / 丸岡のヨーグルト (ジャンボフェニックス)
・丸岡ヨーグルトの紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
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画像左:丸岡乳業の会社広告(昭和39年)…本社が西大寺市の時代。ゴールデンヨーグルト(液状の発酵乳)が看板商品。学校給食指定品とある。
画像上:丸岡乳業の会社広告(昭和46年)…本社は赤磐郡瀬戸町に移転済み。営業所は東京・大阪の2ヶ所。39年の広告にある札幌・名古屋は消滅。 |
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画像下:丸岡乳業の会社広告(昭和42年)…原液各種の案内。マルニューのスタミン、パンニュー、ミルゲン、カルミル、ニューシャンなど。はっ酵煉乳のみ、ラベルに丸岡物産のマークが使われている。 |
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晩年は「メロディー」「ラブエール」ほかヤクルト類似品を商い、また乳業各社に色物原液を卸していたが、平成24年、売上不振で破産。諸権利は県下に量販店網を持つ大黒天物産が買収、25年に布袋乳業(株)として再出発。傘下店舗のPBを手掛ける。
◆オハヨー乳業・瀬戸工場の運用
昭和40年代後期〜平成5年頃まで、「瀬戸町万富960番地」には「オハヨー乳業(株)瀬戸工場」が置かれている。これは丸岡乳業、もしくは土井乳業さんに原料加工を委託したオハヨーが、便宜的に瀬戸工場の名前で運用したものだろう。
往時のオハヨーは乳酸菌飲料「ママイ」が大ヒット、自社生産が間に合わず、助太刀を頼んだ流れ?土井・丸岡さんの住所を名簿上で追うと、同じ960番地を示す時期が互いにあって、表記上の齟齬か、工場共用/交換なのか、定かでない。
― 参考情報 ―
土井乳業の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ) / 同・紙栓 (牛乳キャップとは)
土井牧場の宅配受箱 (むにゅ’s のぉと) / 土井乳業 (ジャンボフェニックス)
ラブエールって知ってる? (万華鏡) / 大黒天物産 製造小売化宣言 (DRMオンライン)