恐らくは戦後、20〜30年ほど郡域に商われた、県東部のローカル銘柄。かつては牛舎併設の一貫処理も、昭和52年に製造より撤退され、独自ブランドは消滅。以降は森永牛乳の販売店さんを営まれたが、それも閉業して既に久しい。
掲載は往年のオリジナル。胴部直径は一般的な牛乳ビンと変わらないが、上部の絞り込みがキツめで若干背が高く、開口部は小口径の紙栓で封緘する、珍しいタイプ。さらに別途、江田眞人様より、最晩年の200cc瓶の写真と、後述の各種情報をお寄せ頂いた。
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画像上:叶屋牛乳の200ccビン(昭和40年代中期〜50年代)…上掲の180ccビンより15〜20年ほど新しい世代。山型の旭日ロゴと対になるような、ご当地・浅間山のシルエットがあしらわれている。ちょろっと噴煙を吐き出す様がかわいい。 |
◆「叶屋牛乳」創業から終焉までの経過
創業初代は尾台愛次郎氏。室町後期に当地へ小田井(尾台)城を築いた有力一族の末裔と思われ、過去、町の大地主や商家にはその苗字が散見される。
愛次郎氏は明治期より御代田村で稲作を行う農家だったらしい。牛飼い・酪農の着手は大正期まで遡るが、牛乳屋さんとして本格的な市販に臨んだのは戦後のことのようだ。一番多い時で乳牛30頭前後を繋ぎ、全て自家搾乳で賄っていたという。
乳牛の飼養は昭和47年まで。それから5年ほどは隣町・軽井沢の牧場から原乳を調達しつつ「叶屋」銘での出荷を続け、最後は森永の請け売りに転じる。平成期には乳類販売を完全に手仕舞い、旧工場は「オダイ製作所」(業種不明・既に廃業)となった。
― 謝辞 ―
江田眞人様より、尾台家のご親族への聞き取り情報などをお寄せ頂きました。
― 関連情報 ―
叶屋牛乳の宅配受け箱
(琺瑯看板探検隊が行く)
同・紙栓
(牛乳のフタ「集め方、遊び方」)