叶屋牛乳叶屋牛乳
叶屋牛乳の紙栓(昭和30年代初期)
画像上:叶屋牛乳の紙栓(昭和30年代初期)…左掲の瓶の飲み口に嵌っていた残存品。普通の牛乳キャップに比べ、二回りほど小さい。
叶屋牛乳

叶屋牛乳店(尾台ミルクプラント)
長野県北佐久郡御代田町1682
石塚硝子製・市乳180c.c.底面陰刻
昭和30年代初期

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恐らくは戦後、20〜30年ほど郡域に商われた、県東部のローカル銘柄。かつては牛舎併設の一貫処理も、昭和52年に製造より撤退され、独自ブランドは消滅。以降は森永牛乳の販売店さんを営まれたが、それも閉業して既に久しい。

掲載は往年のオリジナル。胴部直径は一般的な牛乳ビンと変わらないが、上部の絞り込みがキツめで若干背が高く、開口部は小口径の紙栓で封緘する、珍しいタイプ。さらに別途、江田眞人様より、最晩年の200cc瓶の写真と、後述の各種情報をお寄せ頂いた。

叶屋牛乳の200ccビン(昭和40年代中期〜50年代)
画像上:叶屋牛乳の200ccビン(昭和40年代中期〜50年代)…上掲の180ccビンより15〜20年ほど新しい世代。山型の旭日ロゴと対になるような、ご当地・浅間山のシルエットがあしらわれている。ちょろっと噴煙を吐き出す様がかわいい。

◆「叶屋牛乳」創業から終焉までの経過

創業初代は尾台愛次郎氏。室町後期に当地へ小田井(尾台)城を築いた有力一族の末裔と思われ、過去、町の大地主や商家にはその苗字が散見される。

愛次郎氏は明治期より御代田村で稲作を行う農家だったらしい。牛飼い・酪農の着手は大正期まで遡るが、牛乳屋さんとして本格的な市販に臨んだのは戦後のことのようだ。一番多い時で乳牛30頭前後を繋ぎ、全て自家搾乳で賄っていたという。

乳牛の飼養は昭和47年まで。それから5年ほどは隣町・軽井沢の牧場から原乳を調達しつつ「叶屋」銘での出荷を続け、最後は森永の請け売りに転じる。平成期には乳類販売を完全に手仕舞い、旧工場は「オダイ製作所」(業種不明・既に廃業)となった。

― 謝辞 ―
江田眞人様より、尾台家のご親族への聞き取り情報などをお寄せ頂きました。

― 関連情報 ―
叶屋牛乳の宅配受け箱 (琺瑯看板探検隊が行く)
同・紙栓 (牛乳のフタ「集め方、遊び方」)


創業> 不明ながら大正期
昭31> 叶屋尾台ミルクプラント・尾台勝/長野県北佐久郡御代田村1682
          御代田村は周辺2村と合併し、御代田町となる
昭34〜39> 叶屋/長野県北佐久郡御代田町1682
昭40〜45> 叶屋牛乳店/同上
昭46〜50> 同上/長野県北佐久郡御代田町1684
電話帳掲載> (株)オダイ製作所/長野県北佐久郡御代田町御代田1682-1
                   ※平成12年時点
自家処理撤退・独自銘柄廃止> 昭和52年、以降は森永乳業の販売店となる
廃業> 平成初期?
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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