郡上牛乳郡上牛乳

(記事下段)

郡上牛乳

(有)郡上乳社
岐阜県郡上郡八幡町大正町1204
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和50〜60年代

TwitterFacebookこの牛乳屋さんの記事を共有

昭和初期に5軒の牛乳屋さんが協業、その基盤を確立した、郡上八幡のご当地銘柄。各社のルーツは明治後期〜大正時代まで遡る。

商圏は観光地。土産物店などに置かれ旅客の知名度も高かったが、平成26年末に自家処理より撤退、独自銘柄は消滅。 法人の存廃や事業転換の仔細は不明。既存の販路には主に飛騨酪農協(飛騨牛乳)さんの製品が出回っているようだ。

◆牛乳屋さん5軒で郡乳舎を発足

郡下の乳牛飼養は明治30年代に始まる。郡上畜産会(郡上郡産牛馬組合)の成立で、徐々に有畜農業の営みが浸透。40年代に入って八幡町に個人経営の搾乳業者さんが現れ、約20頭の規模で牛乳商売に乗り出したという。

この先駆者は誰なのか、良く分からない。やがて昭和初期に至り、八幡町に営業していた2軒と、剣(大和村)・大島(白鳥町)・苅安(美並村)の各1軒、都合5軒の牛乳屋さんが合同し、今に残る「郡上乳社」の前身、「郡乳舎」を立ち上げた。

各者仔細はこれまた不明も、郡乳舎の中核を担ったのは八幡町の池戸金之助氏。氏は下記の通り、地元で製糸業を営む実業家だったようだ。

◆お隣では製糸工場の経営

郡乳舎の代表・池戸氏のお名前は、むしろ製糸工場の経営者として往時の記録に散見される。大正末期〜昭和初期の各種資料には「池戸製絲場・池戸金之助/郡上郡八幡町大字島谷1103」といった掲載を確認できる。

池戸氏は、まず製糸業を手掛ける地元名士であって、需要拡大の商機を睨み牛飼いにも進出。養蚕・糸偏商売が世界恐慌と戦争の煽りで全国的に衰退したため、戦時に製糸から撤退。以降、乳業事業に一本化の流れだろう。

かつて郡乳舎ミルクプラントの所在は池戸製絲場と番地1つ違い(1103、1104)。たぶん池戸氏所有の土地に、ふたつの工場が隣り合わせに建てられていたはずだ。

◆晩年の業態や掲載瓶について

少なくとも昭和30年代には、郡上郡各町村の酪農組合より原料乳を調達、処理・販売を行う業態を採っており、牛飼い・自家搾乳は廃止されて久しい。

一般に露出のラインナップは郡上八幡ふるさと牛乳郡上コーヒーが中心。普通の「郡上牛乳(郡上無調整牛乳)」は、宅配・学校給食向けの限定品?だった。

掲載は有限会社になって以降、昭和50〜60年代に流通と思しき一本。200cc時代の色物/加工乳専用ビンと思われる。時代は過ぎて平成26年、老朽化した機械設備の更新余力なく、運営継続が困難となり、約100年の歴史に幕を閉じた。

― 参考情報 ―
さよなら、ふるさと牛乳 (郡上八幡を人力車で観光ガイド中-進風舎) ※消滅
2015年6月2日 / 2015年8月10日 (Twitter@bird_flap)
白川郷で、ラムネを飲みながら歩きたい日常 (岐阜sweets labo)

― 関連情報 ―
郡上乳社の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙栓 (牛乳キャップとは) / 郡上乳社 (乳業探訪記)
郡上八幡ふるさと牛乳&郡上八幡駅 (ブランド紅茶&お菓子大好き)


創業> 明治後期、池戸金之助氏が搾乳業に着手
設立> 昭和初期、池戸氏を含む5業者で郡乳舎を興す
昭09> 池戸金之助/岐阜県郡上郡八幡町島谷
昭31> 郡乳舎・池戸平吉/岐阜県郡上郡八幡町島谷1104
昭34〜36> 郡乳舎/同上
昭37> (有)郡上乳社を設立
昭39〜40> 掲載なし

昭41〜44> 郡上乳舎/岐阜県郡上郡八幡町 ※「舎」は「社」の誤り?
昭46〜51> 同上/岐阜県郡上郡八幡町島谷1204
昭52> 同上/岐阜県郡上郡八幡町大正町1204
昭53〜61> (有)郡上乳舎/同上
昭62〜平13> (有)郡上乳社/同上
電話帳掲載> 同上 ※平成24年時点
自家処理撤退・独自銘柄廃止> 平成26年
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業