チヽヤス牛乳 (1)チヽヤス牛乳 (1)

◆異色の創業史と流転

浄土真宗の信徒団体であった「闡教社(せんきょうしゃ)」が主宰する学校法人、「光道館私立小学校」運営資金獲得のため、明治19年に「広島ミルク会社」として創業。

乳業の出自には様々な形態がある。製菓会社の原料調達目的、酪農組合による生産者主導権担保、不毛の荒野開墾、或いは牛乳需要に活路を見た純然たる個人起業…

チチヤスがちょっと変わっているのは、その原点が往時の仏教団体の運営に由来するところだろうか。あまり聞いたことのないルーツだ。

(この項下段に続く)

チヽヤス牛乳 (1)

チチヤス酪農業協同組合
広島県佐伯郡大野町327-3
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代初期

チヽヤス牛乳 (2)チヽヤス牛乳 (2) チチヤス牛乳チチヤス牛乳
チヽヤス牛乳 (2)

チチヤス乳業(株)⇒チチヤス(株)
広島県佐伯郡大野町3207-3
石塚硝子製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和46年頃まで
チチヤス牛乳

チチヤス乳業(株)⇒チチヤス(株)
広島県佐伯郡大野町3207-3
石塚硝子製・正200cc側面陽刻
昭和47年頃〜平成12年頃まで

明治37年、一部メンバーが分離独立して果樹業「清果園」を興す。このときの社名がチチヤス。“チチ”は父と乳、“ヤス”は「広島ミルク会社」発起人・野村保の“保”の字をあてたもの。乳牛飼育・自給飼料/肥料での果樹園経営を目指したチチヤス牧場の誕生であった。

本邦初のヨーグルト、チチヤスヨーグルトは大正4年の発売。昭和5年に「(株)チチヤス」設立。昭和13年、特別牛乳・承認第一号。広島市に投下された原子爆弾の被害は辛くも免れる。

戦後の業界趨勢から「チチヤス酪農業協同組合」が結成され、「(株)チチヤス」は牛乳の営業権を譲渡。しかし昭和34年に「チチヤス乳業(株)」設立を見、チチヤス酪農協組より集乳・販売事業を引き継ぐと、その後更にミルクプラント設備一切も乳業側が買収した。

一連の煩雑な継承行為は、農地解放に対応しつつ資本的経営を模索したもの?だろうか。

昭和59年、河本乳業(株)・(神奈川県相模原市)を傘下に収めている。市乳製品の販路は中国地方に留まるが、自慢のヨーグルトを含むデザート系の乳製品は全国的に広まり、知名度と業容は大手と呼ぶに差し支えない規模であった。

◆拡張戦略の失敗と再建

本業の牛乳屋さんとしては堅調に伸び続けたチチヤス。しかし大きく成長したが故に、異色の展開を迎えることになった。多角化を目論んだレジャー事業が振るわず220億もの負債を抱え、平成17年には投資ファンド「クレセント・パートナーズ」の資本注入・経営再建案を呑むに至る。

乳業事業は創業者一族・野村家の手を離れ新規設立の「チチヤス(株)」が分割継承。乳業以外の不採算部門だけを残し、旧会社(チチヤス乳業)は「サンタ実業」に商号変更後、特別清算を終えて倒産した。

※経緯仔細不明ながら、その後チチヤスの株式は別の投資ファンド会社「ジェイ・ウィル・パートナーズ」へ移っている。ジェイウィル社はクレセント社の後身?なのだろうか。両社とも公式サイトなどは開設されていない。

◆伊藤園の完全子会社へ

投資ファンド側は経営の建て直しに目処が立ち次第、しかるべく企業に転売して差益を得ることを目指すわけで、水面下では様々な相手と交渉を重ねていたのだろう。平成23年4月、飲料メーカー大手の(株)伊藤園は、チチヤスの全株式を取得して完全子会社化すると発表、翌5月にチチヤスは同社傘下に収まった。(⇒伊藤園のIRニュース-2011年4月

伊藤園はチチヤスが持つチルド商品の製造ノウハウ獲得を、チチヤスは伊藤園の販売網を活かして商圏拡大を期するという。取得額は100億円前後と伝えられた。かつて「クレセント・パートナーズ」がチチヤスへ出資した際に、その投資額は「100億円以上」と報道されている。

大手飲料メーカーによる乳業への出資(買収)例は、過去にはアサヒビールが千葉・保証乳業を支援(昭和63年)したケースがあるくらいだろうか。いずれにせよこれもまた異色の展開だ。

◆ロゴマーク、ブランドの変遷

創業期〜昭和30年頃の商標 「チチヤス」 旧ロゴ
   「チチヤス」 現行ロゴ

(1)番瓶に見られる初期のトレードマークは、梵字をかたどった?いかにも仏教然としたデザイン。

「天皇皇后両陛下 ご用命を賜った チチヤスバター」の宣伝文句は随分時代がかった感じだが、明治天皇から現在に至るまで、広島訪問の際に愛飲されているというエピソードがあるらしい。

画像左上:創業期〜昭和30年代初期の商標
画像右上/右下:「チチヤス」 旧ロゴ/現行ロゴ

「天皇皇后両陛下 ご用命を賜った チヽヤス特別牛乳」を謳う瓶もあり、宣伝欄のバリエーションはいくつか用意されていたものと見込まれる。

(2)番瓶、麦わら帽子を目深に被った「3代目チー坊」は昭和40年代〜平成12年までのマスコット。その変遷は公式サイトにあったキャラクター・ヒストリー(※Internet Archiveキャッシュ)に詳しい。

昭和47年、商標商号を「チヽヤス」から「チチヤス」に変更。掲載の(2)番瓶は繰り返し記号廃止・変更直前の世代にあたる。同じく公式サイト内、往時のパッケージを紹介するなつかし商品(※Internet Archiveキャッシュ)というコーナーで、様々な時代の顔ぶれを見て取れる。

現行の瓶製品は無地の軽量新瓶で昔の面影はないものの、平成17〜19年頃には一矢報いるかのようにチチヤスヨーグルトの復刻印刷瓶が発売されていた。企業再興の一翼を担う販促企画?だったのかも知れない。

― 参考情報 ―
チチヤス乳業の紙栓(1) / 同・(2) (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
チチヤスの紙栓 (牛乳キャップ昭和時代)


創業> 明治19年、広島ミルク会社として
設立> 昭和5年、(株)チチヤスとして
昭09> 野下顯/広島県佐伯郡大野村 ※「野下」は「野村」の誤り
昭21> チチヤス酪農業協同組合設立、集乳・販売事業を継承
昭25> 大野村は町制施行により大野町となる
昭31> チチヤス(株)・野村慶一/広島県佐伯郡大野町
昭34> チチヤス酪農業協組/広島県佐伯郡大野町327-3
昭34> チチヤス乳業(株)設立、集乳・販売事業を継承
昭36> 同上 ※会社法人未反映
昭40> チチヤス乳業(株)/同上
昭43〜平04> 同上/広島県佐伯郡大野町3207-3
平17> チチヤス(株)新規設立、乳業事業を継承
平17> 大野町は廿日市市に編入され佐伯郡は消滅
電話帳掲載> チチヤス(株)/広島県廿日市市大野337-4
公式サイト> http://www.chichiyasu.com/

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。創業年等の一部情報は公式サイト他からの引用あり。電話帳掲載の確認は平成19年時点。



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