明治37年、一部メンバーが分離独立して果樹業「清果園」を興す。このときの社名がチチヤス。“チチ”は父と乳、“ヤス”は「広島ミルク会社」発起人・野村保の“保”の字をあてたもの。乳牛飼育・自給飼料/肥料での果樹園経営を目指したチチヤス牧場の誕生であった。
本邦初のヨーグルト、チチヤスヨーグルトは大正4年の発売。昭和5年に「(株)チチヤス」設立。昭和13年、特別牛乳・承認第一号。広島市に投下された原子爆弾の被害は辛くも免れる。
戦後の業界趨勢から「チチヤス酪農業協同組合」が結成され、「(株)チチヤス」は牛乳の営業権を譲渡。しかし昭和34年に「チチヤス乳業(株)」設立を見、チチヤス酪農協組より集乳・販売事業を引き継ぐと、その後更にミルクプラント設備一切も乳業側が買収した。
一連の煩雑な継承行為は、農地解放に対応しつつ資本的経営を模索したもの?だろうか。
昭和59年、河本乳業(株)・(神奈川県相模原市)を傘下に収めている。市乳製品の販路は中国地方に留まるが、自慢のヨーグルトを含むデザート系の乳製品は全国的に広まり、知名度と業容は大手と呼ぶに差し支えない規模であった。
◆拡張戦略の失敗と再建
本業の牛乳屋さんとしては堅調に伸び続けたチチヤス。しかし大きく成長したが故に、異色の展開を迎えることになった。多角化を目論んだレジャー事業が振るわず220億もの負債を抱え、平成17年には投資ファンド「クレセント・パートナーズ」の資本注入・経営再建案を呑むに至る。
乳業事業は創業者一族・野村家の手を離れ新規設立の「チチヤス(株)」が分割継承。乳業以外の不採算部門だけを残し、旧会社(チチヤス乳業)は「サンタ実業」に商号変更後、特別清算を終えて倒産した。
※経緯仔細不明ながら、その後チチヤスの株式は別の投資ファンド会社「ジェイ・ウィル・パートナーズ」へ移っている。ジェイウィル社はクレセント社の後身?なのだろうか。両社とも公式サイトなどは開設されていない。
◆伊藤園の完全子会社へ
投資ファンド側は経営の建て直しに目処が立ち次第、しかるべく企業に転売して差益を得ることを目指すわけで、水面下では様々な相手と交渉を重ねていたのだろう。平成23年4月、飲料メーカー大手の(株)伊藤園は、チチヤスの全株式を取得して完全子会社化すると発表、翌5月にチチヤスは同社傘下に収まった。(⇒伊藤園のIRニュース-2011年4月)
伊藤園はチチヤスが持つチルド商品の製造ノウハウ獲得を、チチヤスは伊藤園の販売網を活かして商圏拡大を期するという。取得額は100億円前後と伝えられた。かつて「クレセント・パートナーズ」がチチヤスへ出資した際に、その投資額は「100億円以上」と報道されている。
大手飲料メーカーによる乳業への出資(買収)例は、過去にはアサヒビールが千葉・保証乳業を支援(昭和63年)したケースがあるくらいだろうか。いずれにせよこれもまた異色の展開だ。
◆ロゴマーク、ブランドの変遷
「天皇皇后両陛下 ご用命を賜った
チヽヤス特別牛乳」を謳う瓶もあり、宣伝欄のバリエーションはいくつか用意されていたものと見込まれる。
(2)番瓶、麦わら帽子を目深に被った「3代目チー坊」は昭和40年代〜平成12年までのマスコット。その変遷は公式サイトにあったキャラクター・ヒストリー(※Internet
Archiveキャッシュ)に詳しい。
昭和47年、商標商号を「チヽヤス」から「チチヤス」に変更。掲載の(2)番瓶は繰り返し記号廃止・変更直前の世代にあたる。同じく公式サイト内、往時のパッケージを紹介するなつかし商品(※Internet
Archiveキャッシュ)というコーナーで、様々な時代の顔ぶれを見て取れる。
現行の瓶製品は無地の軽量新瓶で昔の面影はないものの、平成17〜19年頃には一矢報いるかのようにチチヤスヨーグルトの復刻印刷瓶が発売されていた。企業再興の一翼を担う販促企画?だったのかも知れない。
― 参考情報 ―
チチヤス乳業の紙栓(1)
/ 同・(2)
(牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
チチヤスの紙栓
(牛乳キャップ昭和時代)