<複雑怪奇なブランドの変遷>
最盛期には関東地方を中心に凡そ10拠点 (東京/西多摩/横浜/相模/埼玉/千葉/栃木/沼津/名古屋/大阪)
で統一ブランド “保証牛乳”
の生産販売を行っていた広域乳業さん。一時は都下で明治・森永を猛追する強大な生産営業力を誇った。
しかし競争激化の果て4工場は昭和30年代中期に閉鎖、明治乳業資本の入った地域会社のうち晩年に傘下入りした工場3拠点(のち全て閉鎖)、60年代に至り千葉保証は倒産(のち興真乳業が吸収)、我が道を行った沼津保証も平成に入って音信不通となり…現在、大阪保証牛乳を除いては全滅の様相を呈している。
ブランド自体は戦前から続く由緒ある商標だが、復興期・成長期・衰退期を通じて多数のプレイヤーが入り乱れ俄かには理解し難い状況となっている。以下、少し長くなるが会社別にその流転を取り纏めた。
東京保証牛乳(株)
東京都板橋区板橋町4-1173 (板橋工場)
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昭和14年「横浜保証牛乳(株)」として設立。ブランドを同じくしているが、戦前の「東京保証牛乳(株)」との関わりは不明瞭。何らか絡みはあったのだろうと思われる。
戦火をくぐり抜け同25年「保証牛乳(株)」へ改称、精力的な事業展開で大躍進する。保証ブランド復興の狼煙は、結果的にここから上がったようにも窺える。
45年頃に「京浜明治牛乳(株)横浜工場」へ改称し、この際に保証銘は廃止。昭和60年代に工場は閉鎖。
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昭和26年、「東京乳業(株)」滝の川工場の跡地を買収し「保証牛乳(株)」東京工場として建造されたミルクプラント。この際、本社機能を左掲の横浜工場から継承。
「東京乳業(株)」は戦時の統制一元化によって生まれた会社。その滝の川工場は
「元・森永乳業滝野川工場(第2ミルクプラント)」
である。統制会社設立に伴い接収されていたもので、空襲で全焼し土地だけが残っていた。
昭和45年頃「京浜明治牛乳(株)滝野川工場」へ改称し、この際に保証銘は廃止。更に47年頃、工場は閉鎖。
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首都圏向け生産拠点2工場体制を確立し、新しい「東京保証牛乳(株)」から保証マークを分捕った暴れん坊。昭和20年代後期〜30年代初期までの処理石数は明治、森永に次ぐ第三位で、東京進出から間もない雪印をも凌駕している。
同社資本のうち35%は明治乳業系であって、昭和33年、「保証牛乳(株)・東京/横浜工場」は明治乳業傘下に入るが、この時点では社名変更されず保証マークによる販売を継続
(kazagasira氏によると、平行して明治ブランドも委託生産していたようで、「明治いちご」などの色物キャップが存在するらしい)、上記の通り昭和45年頃になってから明治一色に染まった。

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画像左:保証牛乳(株)の年賀広告(昭和32年)…この時点では全国に6拠点が存在、表記上は東京を本社にして
横浜・大阪・千葉・西多摩・栃木
は傍系工場扱いだったことが判る。しかし実態は、横浜を除く各工場は独立した地域会社として法人が設立されていた。
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西多摩保証牛乳(福生乳業)
東京都西多摩郡福生市本町36
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昭和20年代後期の設立。法人格不詳。酪農史誌には「保証牛乳の傍系・福生乳業」との言及あり、また大手紙器加工メーカーに保存されていた往時の牛乳キャップには、「福生乳業・西多摩郡福生町」
の標示とともに “保証十字”
マークが使われていたことから、保証グループの一員であったことは確か。昭和30年代中期に工場は閉鎖されたようす。
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昭和30年、明治乳業と「保証牛乳(株)」の折半出資により設立。同38年「福島保証牛乳(株)」へ改称・工場を福島県郡山市へ移転。この際に保証銘は廃止?42年に至り保証系の資本から完全に離れ、明治と福島県開拓連の折半出資で「福島明治牛乳(株)」が設立されると更に工場が移転し、旧来の施設は廃止。平成11年には新工場も閉鎖。
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昭和20年代後期の設立。法人格不詳。昭和30年頃、「保証牛乳(株)」に合併、工場を閉鎖したとの記録が残っており、保証グループの一員であったことは確か。
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昭和29年前後の設立。法人格不詳。東京の需要増に対応すべく「保証牛乳(株)」によって新設された処理工場のようだが、早くも昭和30年代中期には閉鎖。
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その後結局、「保証乳業(株)」単独での存続は困難と判断されたのだろう、アサヒビールは運営の一線から退き、保証乳業は平成6年に近隣の興真乳業(コーシン牛乳)と業務統合。上掲(4)番瓶となりの宅配チラシは丁度その頃合のもの。同10年に至り吸収合併され、翌年にはついに関東地方から保証ブランドは消え去った。かつて併呑して見せた三協乳業も、市乳業界の衰退傾向には抗し切れず、平成12年に会社を解散している。
余談ながら「保証乳業(株)」は昭和47年、本社前の敷地に当時大ブームを巻き起こしていたボーリング場
「保証ボウル」
の営業を始めレジャー事業へ食指を動かすなど、何とも危ない橋を渡り始めていた。
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設立年不明。牛乳キャップとは?さんや牛フタ倶楽部さんに掲示されている沼津保証のキャップデザインを見る限り、商標・ロゴタイプが保証グループのそれと一致しており、どうやら系列関係にあったらしい。ただし、本稿に掲載の各種広告や後述する販促用の下敷きには
“保証グループ” の一員としては紹介されていない。
沼津保証はかつて同市内にあった 「諏訪乳業(株)/諏訪産業(株)」(スメラ印練乳・バターなどの乳製品製造会社)
の社長さんが興した企業体で、同氏は不二家乳業(株)(現在の不二家乳業とは異なる組織で、戦前の沼津市にあった)
の取締役も兼任されていた。明治など同業大手他社の資本流入は認められず、系列中では独立性が一番高かった?ものと見られる。
ペコちゃん・ポコちゃんが可愛らしい不二家ミルキー広告入り(A)〜(C)番瓶は、そのような経営上の関係性から推すに、沼津保証で使われていたものだろう…と考えられる。
昭和50年代から市乳処理事業とともに各種の清涼飲料水やカップデザート類を扱う多角化を進めたようで、商い品目の増強ぶりを乳業向けプラント施工業者の納入実績に見て取れる。
昭和57年:ウーロン茶、鳩麦茶、ホット充填機とそのライン工事
昭和59年:デザート用ロータリーテーブル充填機
千葉保証の倒産後は完全に独立した一企業として経営され、晩年は牛乳類の製造を打ち切ったようだが、現行電話帳にはあらゆる業種で社名自体の掲載を確認できず、平成10年代に至り廃業されたのではないか…と想像している。
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名古屋保証牛乳(株)
愛知県名古屋市中村区則武町2 (本社)
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戦後の設立。昭和33年頃に操業停止。同社の社長は東京/横浜/大阪/千葉工場と同じ方が勤めており、保証グループの一員であったことは確か。西春日井郡にあった工場施設は協同乳業(名糖乳業)が買収、名古屋市乳工場とし、増改築を経ながら長年操業を続けたが、平成10年代に至り閉鎖となっている。
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昭和13年「大阪低温牛乳(株)」として設立。同18年、明治乳業の資本参加に伴い「豊能牛乳処理(株)」へ改称、明治ブランドの生産販売へ転向。戦後は明治乳業の豊中工場として操業していたが、27年に「保証牛乳(株)」による経営となり、「大阪保証牛乳(株)」へ改称するとともに、保証マークでの売り出しを開始。この際、地元業者の「豊中牛乳」を合併したようである。当時の保証牛乳の年賀広告
(上掲) は、同社を “大阪工場” 扱いで掲載している。東京/横浜と同様に、明治色物製品の委託製造実績がある。(kazagasira氏情報)
同志が次々と倒れ逝くなか、浪速っ子の意地で耐え抜いた保証ブランド最後の砦。千葉保証の進退が窮まった際は、独立会社としての存立を期し
かねてより資本関係のあった明治乳業の支援も取り付けたようだ。ただ、非常に残念なことは、平成11年頃にロゴイメージを刷新され、グループの旗印である
“保証十字” マークの使用を止めてしまったことだろう。(⇒大阪保証牛乳の公式サイト)
画像右:保証牛乳(株)の年賀広告(昭和41年)…東京(+兄弟格の横浜工場)・大阪
の3拠点に業容が縮小。しかしこの時点においても
「福島保証(旧・栃木保証)」 「保証乳業(旧・千葉保証)」
「沼津保証」
は操業している。明治系列の保証と、その他の支配下にある保証との間で、経営上の関係が喪失したことが窺える。
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<各社横断的に使われていた牛乳瓶>
昭和40年前後に配布されたと思しき保証牛乳の販促用下敷きには、「東京(横浜)・千葉・大阪」の4拠点が連名で登場、紹介されている(瓶)製品のラインナップを共有していた様子が窺える。年代により共有状況は異なるだろうが、往時のグリコ協同乳業と同じく掲載瓶は各社横断的に使われていたと想像できる。
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画像左:保証牛乳が販促用に配布していた下敷き(昭和40年前後・kazagasira氏提供)
丸瓶、四角瓶、八角瓶を使い分ける多彩なラインナップ。本稿に掲載した瓶の写真と近似するデザインが多いものの、時代が微妙にズレているようだ。下敷きに載っている瓶と全く同じものは現物を見たことがない。
動物のイラストを刷り込んだ四角瓶は、ロゴ変更やまる正プリント標示などを伴いつつ、近年まで大阪保証牛乳で利用されていた。
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(1)番瓶は昭和30年代初期の全盛期・約10拠点生産体制の頃合い、(2)〜(3)番瓶で約半分
(東京/横浜/千葉/沼津/大阪) まで落ち込み、その後昭和45年前後には東京・横浜が保証グループから離脱、残り3工場。同60年に千葉が倒産した段階でグループ企業としての繋がりが消滅。その後
千葉は興真乳業へ呑まれ、沼津は消息不明となり、唯一
現役の企業体であることがはっきりしている大阪保証は、既に旧来商標を取り止めている…という感じか。
瓶装について
どこまで協調体制を取っていたのか不明瞭ながら、大阪側の200cc瓶は有幻会社ぽんげ乳業さんに載っていて、これは(3)番瓶をベースにデザインされた正統進化版の(4)番瓶。同じものが関東地方でも出回っており、少なくとも増量直後までは足並みを揃えていたことが分かる。
昭和60年代出来?と思しき千葉側の200cc瓶は牛乳キャップとは?さんの「さらば保証乳業」に写真掲載がある。これは上掲(4)番瓶となりの宅配チラシに見えている「保証・特濃4.5牛乳」一合瓶に近似する全くの別物だ。
恐らく、東京・横浜が保証グループから離脱した昭和45年以降、200cc移行期を跨ぎなお統一デザインであったものが、昭和60年、千葉側の倒産前後を契機に断絶した疑いが強い。気になる沼津の状況は残念ながら手掛かりを得られなかった。
(1)(2)番瓶の可愛らしい三角巾の坊やは、骨董屋さんで時々見掛ける牛乳コップのほうで有名だろうか?直接的な商材である瓶と、景品として配布されるコップのデザインは別物であることが多い。イラストの面白さで言えば大抵後者のほうが勝っていたりするだけに、嬉しい統一感。ノスタルジックな
“保証十字”
マークも含め、継承企業がなくなってしまったのは寂しい限りである。
参考掲載・(D)〜(F)番瓶は、コーヒー・フルーツ等の色物専用瓶。可愛らしい動物のイラストには
たぬき・象・カンガルーのバリエーション、他にも複数のデザインが同時に出回っていたようである。掲載分はそれぞれ微妙にロゴタイプ・デザインフォーマットに相違点があるため、いつ頃・どの工場で使われていたものか、正確なところはやはり分からない。
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喜茂別ミルクプラント(三瓶久一)
北海道虻田郡喜茂別町末広町303
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昭和11年設立。昭和44年「北海道保証牛乳(株)」へ改称。旧来より保証マーク未使用。現在は森永と業務提携。
(⇒北海道保証牛乳の公式サイト)
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設立年不明。牛乳キャップ収集家であるkazagasira氏によると、往時の紙栓は
「保証牛乳」 銘ながら保証マークは未使用。昭和40年代初期に廃業。
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戦前〜戦後にかけ、「保証牛乳」は流行り言葉のように使われた銘柄。その名前を商う事業者が全国に散在していた。そんな
“保証ブーム” に乗って設立された北海道保証牛乳さんが、業界誌に往時の様子を綴っている。
昭和11年は低温殺菌法のルールが整備され、全国各地の牧場が共同処理場を持ち始めた頃だそうで、その際、多くの企業が品質保証という意味から社名に「保証」の2文字をつけたそうです。ピーク時には「保証」がつく企業は40社ほどあったそうですが、現在は北海道保証牛乳(株)と、明治乳業(株)系列の大阪保証牛乳(株)さんの2社のみとのことです。
― 参考情報 ―
さらば保証乳業 / 保証乳業の意外なつながり
/ 保証乳業の牛乳キャップ
(牛乳キャップとは?)
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