三愛牛乳(牛島製酪)三愛牛乳(牛島製酪)

(記事下段)

三愛牛乳

(名)牛島製酪
熊本県熊本市田崎町183
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜後期

TwitterFacebookこの牛乳屋さんの記事を共有

戦前に当地で創業以来、市域を中心に30年ほど商われたローカル銘柄。「牛島製酪」の商号が示す通り、牛乳のほかバター、アイスクリーム、練乳など各種乳製品の加工を手掛たほか、熊本駅構内で駅弁(サンドイッチ)の直売も行っていた。

[基督教年鑑](キリスト新聞社刊)の古い信徒人名録に、お名前が載っている。合名会社牛島製酪(牛島牧場)、代表社員・牛島三郎氏、副社長・牛島敏雄氏…恐らくご一族の協働経営で、クリスチャンの家柄だったらしい。

◆三愛主義の三愛牛乳

従って「三愛」は、【神を愛し、人(隣人)を愛し、土(祖国)を愛す】キリスト教の三愛主義由来に違いない。掲載瓶は表裏・計8文字で完結する淡白なデザインだが、可愛らしく跳ねた「三愛牛乳」のロゴタイプに、聖典の飾り字のような趣も感じる?ところだ。

牛島製酪・三愛牛乳/アイスクリームの広告(昭和36年)

牛島製酪・サンドイッチ/三愛牛乳の広告(昭和36年)
画像上:牛島製酪・三愛牛乳の広告(昭和36年、37年)…工場と営業所は熊本市、牧場は菊池郡菊陽村とある。熊本駅では自家製サンドイッチと一緒に、もちろん牛乳も売っていたようだ。

三愛主義は、デンマークの宗教家NFS・グルントヴィ氏の提唱に基づき、クリステン・コル氏が創始した民間学校(フォルケ・ホイスコーレ=農民・民衆の高等学校)で掲げられた基本理念。その思想・運動は日本にも影響を与えたという。

◆活水女学校の校長先生

牛島製酪の副社長を務めていた敏雄氏は、昭和40年代に乳業経営を辞したのち、長崎県下のミッションスクール・活水女学校(活水中学校/高等学校)の校長/理事に就任。長く教育者としてご活躍の様子が伝わっている。

氏との交流・回顧談は、Webにも散見された。尼崎にある日本キリスト教団塚口教会の礼拝説教集は、敏雄氏の“証し”を紹介。「かつて熊本で牧場をしていた頃、我が子を不慮の水難で失い、信仰を新たにした」旨の、悲しい過去に触れている。

― 参考情報 ―
祈りの土台 (日本キリスト教団 塚口教会)
二つの街の物語-地域・大学・ミュージアム再生を求めて (林重太のホームページ)
神を愛し、人を愛し、土を愛す3 (日本グルントヴィ協会)
活水学院(活水女子大学)本館 (ヴォーリズを訪ねて)


設立> 昭和10年、(資)牛島製酪として
昭27> 合名会社に改組
昭28〜42> (名)牛島製酪・牛島三郎/熊本県熊本市田崎町183
廃業> 昭和43年前後
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、[日本乳業年鑑]・[熊本商工名鑑 1955]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業