中嶋牛乳中嶋牛乳

(記事下段)

中嶋牛乳

(資)中嶋牛乳店
三重県名張市豊後町472
山村硝子製・正200cc側面陽刻
昭和50年代〜平成5年頃

TwitterFacebookこの牛乳屋さんの記事を共有

大正時代から続いた伊賀の老舗。軒先の道路拡張に応じ平成20年頃に廃業、ブランドは消滅。掲載びん、胴部の中ほどに印刷された水玉は容量の半分、100ccを示す。時折見掛けるお助け標示。役立つ機会はあまり多くなさそうだが…。

◆中嶋牛乳の始まりと名張牛乳

中嶋家は代々、当地に農業を営んできた。大正6年、商機ありと見た中嶋瀧之助氏が名張町新町に牛乳店を新規開業し、中嶋牛乳の歴史が始まる。

間もなく大正8年、地元の搾乳業者さん一同が相集って名張牛乳(株)を興すと、その代表に就任。しかしこの協業はあまり上手く行かなかった。わずか2年で会社は解散、瀧之助氏は会社の権利・資産を買い取り、再び独立営業に臨んだという。

以降、約85年間に渡って市域の需要を満たしたが、前記の通り道路拡幅のため旧店舗は取り壊し、本宅も移築。牛乳屋さんは手仕舞いとされている。最後まで瓶詰めは健在だった。

◆名張市域の牛飼いの今昔

三重県は名古屋・京都・大阪の経済圏に接し、古くより都市部で盛んだった搾乳業者の預け牛を入れた農家が多く、全国的にも早い段階で酪農が定着。昭和初期の頃、名張町を含む名賀郡は、県下最大の飼養頭数を誇った。

中嶋牛乳さんも、当初は農家として乳牛の代理育成を手掛け、その過程で繁殖〜搾乳の勘所を習得し、鋭意起業に臨んだような経過かも知れない。

のち名張市域は宅地化・都市化が進行。自給飼料の要となる採草地が激減。戦後は各地の例に漏れず、行政の酪農振興もあったが伸び悩み、現在乳用牛は皆無に近い。中嶋さん方においても舎飼い・自家搾乳は止めて久しかったと思う。

― 謝辞 ―
中嶋牛乳さんの廃業につき、ほどほどCollection様よりご教授頂きました。

― 関連情報 ―
中嶋牛乳店の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
中嶋牛乳店〜三重県名張市 (なおのブログ)
名張ぶらぶら 初瀬街道をぶらぶら (ひとはたびびと)
グラフと統計でみる農林水産業-名張市 (わがマチ・わがムラ)


創業> 大正6年
大08> 名張牛乳(株)に合併 ※同10年、会社を解散し個人で事業継承
昭02> 中島瀧之助/三重県名賀郡名張町大字豊後町
昭09> 中島瀧二郎/三重県名賀郡名張町大字瀬古手
昭29> 名張町は周辺3村と合併し、名張市となる
昭31> 中島多蔵/三重県名張市豊後町
昭34〜平13> (資)中嶋牛乳店/三重県名張市豊後町472
電話帳掲載> 同上 ※平成12年時点
廃業> 平成20年前後
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、[伊賀暖簾ト人物]・牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業