およそ90年間に渡って商われた、佐渡のローカル銘柄。立地は島のくびれの西側・真野湾にほど近いところ。「塚崎」の名乗りは、所在の古い地名による。
島内に長く残った個人経営のメーカーとして、飯田牛乳(佐和田町)、伊藤牛乳(両津市)、五島牛乳(真野町)さんに並ぶ希少な老舗だったが、平成9年頃に廃業され、ブランドは消滅。販路は昔馴染みの宅配がメインだったらしく、情報はあまり多くない。
◆乳牛飼育の先達・本間与十郎氏
事の起こりは明治42年。二宮村の本間与十郎氏がホルスタイン種を導入し、村の酪農に先鞭をつけた。
氏は地元の農会長や村会議員、また佐渡郡搾乳牛組合長ほか内外の要職に就き、畜産の指導・奨励を行った名士である。
本項乳業を創始したのは、家業を継いだ二男の丹次氏。隣村の八幡村・国府川に面した塚崎という場所に牧場を拓き、本格的な搾乳販売に着手。恐らく大正初期の話と思われる。
画像右:八幡塚崎・精養舎(本間丹治氏)の広告(明治末期〜大正期)…草創期は「精養舎」の屋号を名乗った。[佐和田町史 通史編3]より。 |
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◆佐和田町の酪農・ミルクプラントについて
昭和29年、八幡村や二宮村を含む4町村が合併、佐和田町が成立(現・佐渡市)。この時分の町内には塚崎牛乳のほか、二宮村酪農組合(飯田牛乳)、小杉牛乳、中川牛乳の計4軒が操業。平成期まで塚崎・飯田コンビは健在だった。
いっぽう昭和60年の130頭をささやかなピークに、乳牛飼養は衰退。平成16年の大合併で佐渡市となったため、佐和田地区に限った現況は不明。今は肉用牛が優勢のようだ。
なお、両津市(旧・加茂村)にあった同姓の本間牛乳(愛康舎)さんと、格別の縁は無い。佐渡の本間家は鎌倉時代の守護代・本間能久が祖。島で一番多い苗字という。
― 関連情報 ―
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