良寛牛乳良寛牛乳

(記事下段)

良寛牛乳

出雲崎酪農組合
新潟県三島郡出雲崎町大字大門260-1
石塚硝子製・180cc側面陽刻
昭和40年代中期〜50年代中期

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戦後の発足以来、70年余の歴史を持つ、県下中堅の農系ミルクプラント。「良寛」の銘は庶民に愛された江戸末期の禅僧、地元出身の良寛和尚に因む。郷里の偉人を冠した牛乳というのは全国的にも珍しく、由来としては希少なパターンだ。

一帯では特に学校給食でお馴染み。拠点を置く出雲崎町はもちろん、納入先は長岡・柏崎・上越各市の約100校に及ぶ。県内スーパーでの取り扱いも多い。

現行の商品ラインナップは白牛乳、低温殺菌、コーヒー、ヨーグルト、プリンにゼリー、アイスクリーム。平成2年の設備改廃で瓶詰めラインを撤去され、紙パック・プラ容器のみとなっている。

出雲崎酪農組合の牛乳工場外観(昭和52年)出雲崎酪農組合の工場内・洗壜機(昭和52年)

充填ラインを流れる良寛牛乳(昭和52年)良寛牛乳を飲む子供たち(昭和52年)
画像上:記録映画「過疎地につくる-特産物と若ものたち」(昭和52年)…過疎物語YouTubeより。往時の出雲崎酪農組合のメンバーとその牛乳工場、良寛牛乳の納入先の保育園?の様子が見える。子供が飲んでいるのは本項掲載と同じ瓶。工場の充填ラインを流れる瓶は色違いの別種。

◆西越酪農組合から出雲崎酪農組合へ

振り出しは昭和25年、西越村の牛飼い数人が申し合わせ、西越酪農組合を旗揚げしたことによる。まずは柏崎市のメーカーへ生乳出荷を行いつつ、翌26年には出雲崎酪農組合と改称しミルクプラントを落成、処理直売に乗り出した。

間もなく南波益夫氏(後の出雲崎町初代町長)から組合長の座を継いだ佐藤平右ェ門氏が、今日の基盤を築く。食糧不足の折柄、副業で乳牛飼育を行う農家が増え、組合の規模も拡大。昭和37年の日産3千本が同45年には3万1千本、上中下越に販路を得た。

中途まで西越村農協傘下の酪農部門、という位置付け?だったらしく、当初の商い銘柄は不詳。「良寛牛乳」銘の採用は昭和30年代の半ば頃だろうか。

◆出雲崎酪農組合から株式会社良寛へ

老朽設備を廃し、新工場を建設した昭和57年、同じく基幹工場を完成させた新潟県農協乳業(農協牛乳)が、出雲崎酪農組合への処理委託を打ち切り、自社製造を開始。総売上の3割を失う打撃を被るが、粘り強い営業活動で新規顧客を開拓、難局を凌いだ。

しかし最盛期に50戸を数えた町内酪農家は、平成に至って9割方が脱落。昭和39年に任意組合から農事組合法人へ衣替えしていた出雲崎酪農組合は、法定人員の確保が危うくなった。そこで平成29年、株式会社良寛と組織を改め、さらに多難な次の時代に臨んでいる。

― 参考情報 ―
DePOLA 50号 特集 過疎への挑戦-農山漁村50年の歩み (全国過疎地域連盟)
食彩にいがた-良寛牛乳 (朝日新聞デジタル)
良寛コーヒーパッケージリニューアル公開審査会 (にいがた経済新聞)
「良寛コーヒー」の新パッケージを学生がデザイン (新潟工科大学)
出雲崎酪農組合の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙パック製品 (愛しの牛乳パック) / 良寛牛乳 (新潟直送計画)


設立> 昭和25年、西越酪農組合として
昭26> 出雲崎酪農組合と改称、市乳事業を開始
昭31> 西越村農協牛乳処理場・佐藤平右ェ門/新潟県三島郡西越村大字大門241
昭32> 西越村は旧・出雲崎町と合併し、新・出雲崎町となる
昭34> 西越村農協牛乳処理場/同上
昭36〜43> 出雲崎酪農組合(良寛牛乳)/新潟県三島郡出雲崎町川西
                 ※乳製品工場として出雲崎町大字中山の所在も併載
昭44〜平13> 同上/新潟県三島郡出雲崎町大字大門260-1
                   ※51年まで川西の所在も併載
平29> 出雲崎酪農組合は(株)良寛に改組・改称

電話帳掲載> 良寛牛乳/同上
公式サイト> https://ryoukan-milk.com/

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は令和3年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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